エピソード13-1|ブッフェのこと
- 5月18日
- 読了時間: 3分
出来事
国際寮の夕食はブッフェ形式だった。
厨房スタッフの頑張りのおかげで、評判がいい。
毎日、その日のメニューが並び、生徒たちは自分の皿に好きなものを取って席につく。
最初の一巡目は、誰もが適量を取る。
二巡目になると、気に入ったものをどっさりと盛る子も出てくる。
逆に、私がこれを取ると「後の子の分がなくなる」ことを心配する学生もいる。
そういう状況に対しては、また作ってもらうからとりあえず持っていけ、で済ませる。
本当に作れるかどうかは、どの程度の食数を消化したか、材料があるかどうかで決まる。
そして、最終的には必ず用意した料理が余る。
それは関係者の賄いに回されるか、処分される。
問題
ある日、それが問題になった。
「どうせ捨てるなら」
外国人教師が言った。
「どうせ最後には捨てるんだろう? だったら、金を払っている人間が好きなだけ食べてもいいじゃないか」
彼らの論理は明快だった。
ブッフェは自由裁量のはずだ。
金を払っている。
最終的に廃棄されるなら、今取っても同じではないか。
確かに、理にかなっている。
だが、私は反論した。
「まだ食事に来ていない子どもがいる。彼らに行き渡らなくなる可能性がある」
「料理はそれぞれの人間の適量を考えて作られている。全員が好きなだけ取れば、必要量が膨大になる」
「後から来る人への配慮が必要だ」
しかし、説明は通らなかった。
最終的に、外国人教師2名は、その後の夕食を全てキャンセルした。
衝突
この揉め事は、表面上は「ブッフェの取り方」だが、実際には三つの論理が衝突していた。
① 教師側の論理
金を払っている
ブッフェ=自由裁量
廃棄されるなら、今取っても同じ
つまり、「権利」と「合理性」。
② 提供側の論理
人数×平均摂取量で設計
全員が公平に食べられる前提
廃棄は失敗ではなく安全マージン
つまり、「運営」と「コスト」。
③ 教育空間としての寮の論理
後から来る人への配慮
共有資源の扱い方
大人の行動が子どもに与える影響
つまり、「学習」と「模範」。
問題は、この③が最初から言語化されていなかったことだ。
だから、①と②が正面衝突した。
権利
「どうせ捨てるなら食べさせろ」という主張は、結果論(Ex-post)である。
確かに最終的には余る。
だが、運営側が守ろうとしていたのは、事前の権利(Ex-ante)だ。
つまり、
遅れてきた生徒が、最初の一口を等しく楽しむ権利。
メニューの中から選択する自由。
誰かが大量に取ったせいで、自分の分がなくなるという不公平を経験しない権利。
時間軸で権利を分けて考えると、この対立の本質が見えてくる。
先に来た人の「好きなだけ取る自由」と、後から来る人の「選ぶ権利」。
どちらを優先するか。
教育空間では、後者を守らなければならない。
だが、それを事前に宣言していなかった。
では、なぜそれは最初から言葉として置かれていなかったのか。
そこに、構造の問題があったからだ。
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