エピソード 11|最後のメッセージ
- 5月18日
- 読了時間: 7分
更新日:5月22日
出会い
Aは日本人だが、Pre-IBを修了してIBDPに進級、寮から学校に通っている。
入寮当初は、まだまだ中学生時の幼さが残る女の子だった。
背は小さく、声も細い。
初対面の時、私が話しかけると緊張していた。
英語には相当の準備をしたようだが、授業についていくことが出来ず、毎晩泣きながら復習と予習をしていた。それを私はドア越しに知っている。
彼女の生活リズムは独特で、夕食後はすぐ眠りにつき、真夜中の2時か3時に起きて、勉強を始める。
ある時、授業が早く終わった日、ラウンジで机に突っ伏して寝ている彼女を見つけた。
教科書が開いたまま、ノートには英単語がびっしり。
よだれがノートにシミを作っている。
声をかけて起こすと、彼女は一瞬、自分がどこにいるのかわからない顔をした。
「部屋で寝なさい」
「…はい」
関わり
寝不足が続いているのか?
生活への影響を心配したが、状況的にギリギリで崩れなかったところがえらい。
その代わり、土日はほぼ寝ていて連絡が取れない。
彼女と私は入寮当初から変わった関係が続いていて、ラウンジや食堂で出会えば、時事問題の質問をする。
これは私が意図的に始めたことだった。
IBでは、時事問題や社会的なテーマを扱う機会が多い。
そこで何も語れないのは、致命的だ。
「日本の原子力発電が占める電力量に対する割合はおよそ何パーセント?」
「…ろく…じゅっパーセント?」
「気は確かか?そんなにあったら電気の問題は起きんだろう? 新聞読めや」
「えへへ」
答えられなくても、彼女は笑っている。
自然な肩透かし、これを連打された。
そのあたりは、まだ子どもらしさが残っている。
最初は怖がっていたが、次第に私の質問を「ゲーム」のように受け止めるようになった。
「国連のグローバル・イシューの一つ、温暖化や気候問題が日本の食糧生産に与える影響は?」
「…わかんないです」
「じゃあ、考えろよ。誰が困ると思ってんだ?」
「時事問題の千本ノックやるか?」
「いらないです」
こうして、少しずつ彼女の視野を広げようとした。
支援
この子には、必要と思えたので他の学生よりも多く関わった。
健康管理、会社や社会見学のおススメ、息抜きの方法。
「来週の土曜、◯◯の工場見学がある。行くか?」
「…行きたいです」
「じゃあ、自分で申し込め。URLを送る」
帰ってきたら感想を聞かせてくれた。
「すごかったです! ロボットがたくさんあって…なんか、未来みたいでした!」
拙い言葉だが、彼女なりに何かを感じ取る。
街に出れば、シュークリーム屋に必ず立ち寄る。
嬉しそうに箱を抱えている。
「また買ったのか」
「はい! 今日は新作です!一つあげます。」
桃太郎さんじゃないんだがな。
この子は、こういう小さな楽しみを見つけるのが上手い。
それが、彼女を支えているのだと思った。
こうして、接点を多く持つことで、彼女の生活と学習の状況を確認していた。
判断
私は本来、すべての学生と等距離で関わる立場にある。
それでも、Aには少し違う関わり方をしていたと思う。
過去に、生活の乱れから学校を離れざるを得なくなった学生たちがいた。
予備校に通うことになった学生の姿も見てきた。
同じ流れを、もう一度見たくなかった。
Aが特別だったというより、
以前に見た「崩れていく過程」が重なって見えたのだと思う。
壊れてからでは戻れない。
だから、壊れる前に関わる。
その時の私は、そう判断していた。
構造
この学校では過去、日本語の普通科コースに通った同学年12名の留学生のうち、3名が退学、3名が卒業後に改めて予備校に通った。そういう事実がある。
馴染みきれていない言語を使って勉強することの厳しさが、結果として現れる。
私は、この子に関してはここに気を遣った。
彼女が途中で挫けること、これは避けたかった。
学校のIB担当への相談として、レコーダーで授業を録音、NotebookLMで要約して効率化を図ること、授業動画をYouTubeにあげてオンデマンド復習し、依存対策も含めて、私が一括整備することを申し出た。
IB担当の返答は、「あなたが退職したら次の人は同じことができますか?」だった。
苦笑。
「あなたが仕組みを理解する気はないですか? 」
とは、言わない。
言ったところで、どうせ変わらない。
知ってしまえば、動かなければならない。だから、知ろうとしない。
そう、感じた。
ただ、学校が「持続可能性」という言葉で思考を止めている間にも、目の前の生徒の時間は削られていく。
一人が崩れると、周囲も不安になる。
「あの子、大丈夫かな…」
「私も無理かも…」
そういう空気が寮に広がる。
これも構造の問題だ。
なぜこうも、構造の問題が手付かずなのか?
成長
さて、Aのこと。
11年生になった頃には、彼女なりのルーティンができ上がった。
朝2時に起きて復習・予習、7時30分から朝食。
授業後は30分仮眠、夕食までゲーム、夕食後は睡眠。
土日は午前中寝て、午後から勉強。
このサイクルが定着してから、彼女の顔色が良くなった。吹き出物もない。
今は時間が彼女の武器だ。
転機
英語の能力が格段に向上したことは、どの教師も認めた。
この子は努力を続けたようだ。でも、まだ37に届かない。
本人も気にしている。
何を変えればいい?
ラウンジで話し合うことを繰り返した。
「英語なんですけど、もっと単語を覚えた方がいいですかね?」
「いや、単語は言い換えができるから、使いやすいものだけでいい。読むスピードは?」
「…遅いです」
「じゃあ、そこかな。多読しようか。英語の本を読め。難しいのじゃなくていい。簡単なのでいいから、たくさん読もう」
彼女は図書館から本を借りてきて、ゲームの時間、読むようになった。
が、私のアイデアが枯渇してきた。
できることが、もうあまりない。
その後
ある日、ラウンジで彼女が言った。
「私思うんです。今のままでいいんじゃないかなって。最初は辛かったけれど、今はなんとかやって行けてますよね。徐々にだけどスコアも上がってきてますし。入試までに37前後出ればいいんじゃないかなー。自分のペースみたいなものがわかってきたような気がするんです。IELTSも6.5まできましたし」
なるほど。
単なる高得点よりも「困難をどう乗り越え、自分をコントロールしたか」という経験は、大学入試での強力なファクターだ。しかも、きちんとその通りのことを経ている。
「自己主導型学習者」としての証明。
妥協ではなく、「持続可能な努力の形を見つけた」ことがすごいんじゃないか?
彼女は、もう自分で答えを見つけている。
いや、そこまで言えるなら、それはもう私の出番はないよ。
最初は「どうすればいいですか?」という状態だった子が、「今のままでいい」と言っている。
自分で自分をコントロールすることもできている。
もうこれは任せていい。
本当に任せていいかどうか、これは私にも勇気が必要だ。
でも、その"怖さごと任せ、自分で考えさせる"ことが、たぶん大人に近づくことなのだろう。
この子を信じる、そういうことのように思えた。
別れ
私はフェードアウトした。
その半年後、私は退職することになった。
ちょうど彼女が帰省しているタイミングで、最後の挨拶は交わせなかった。
メッセージ
Slackでメッセージが届いた。
「おせわになりました。私は寮で暮らすようになって、変わったような気がします。はっきり言えるのは、自分と向き合えるようになったと思います。私は、一部の友達を除くと、あまり会話をすることがないです。でも、いつも私に考えることをたくさんくれました。おかげで、ちょっとずつ変わったと思います。これからも、自分が変わることが楽しみです。ありがとうございました」
!!!
変わることが楽しみ?
なにこれ?
私は、画面を見つめたまま状況を理解する必要に迫られた。
「変わることを楽しみたい…」
この言葉を、彼女が自分で言うのか?
最初は、変わることが怖くて、ただ必死に食らいついていた。
それが今は、変わることを「楽しみたい」と言っている。
そうか…。君は、いつの間にか私のイメージを通り越していたんだな。
私は彼女に「生き延びる方法」を教えようとしていた。
しかし、彼女はそれを超えて、「成長を楽しむ」ところまできていた。
子どもの成長って、こういうものか?
初めて会った時のような幼いAではなくなった。
大丈夫だ。後は、自分で切り拓ける。
私も君からたくさん勉強させてもらった。
私は君の5年後を楽しみにしている。
偶然でいい。また、どこかで会えればいいな。
成長は、支援の結果というより、
本人が自分で選び取ったものだと思う。
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