エピソード 12|ラウンジ清掃のこと
- 5月18日
- 読了時間: 5分
「 S 」
女子IB生のS、彼女はこの寮には住んでいない。
通学の子だ。
よく寮に遊びに来る。
寮と外の境界を、自由に行き来できる数少ない存在だ。
何度も顔を合わせているうちに、私に対する恐怖心も和らいだようだ。
日本語が非常に上手なので聞いてみたところ、母上が日本人、父上が英国人と教えてくれた。結婚を機に、父上は日本駐在員として活躍されることを選んだのだそうだ。
生まれながらのバイリンガル、彼女の人生は、生まれた時からストロングポイントが与えられている。
とてもラッキーだが、ご両親の意識がそこになければこうはならない。
ここまではその通りの話なんだが、私はこの当時、大きな思い違いをしていたようだ。
私だけでは無いと思うので説明しておきたい。
二つの言語を持つということは、二つの価値観を行き来することでもあるらしい。
例えば、日本語を話す時は礼儀や謙虚さを意識し、英語を話す時はより個人の主張を強めるなど、言語によって性格や振る舞いが変わる感覚(Cultural Frame Switching)を持つことは少なくないようだ。
さらに、子によってはアイデンティティの問題が加わる。
見えない努力が必要ということが後から分かった。
企画書
ある日、学生たちが主催し、教師や学校関係者なども呼んで寮でパーティーを開催することになった。
彼女と、女子学生3人が私の事務室に相談に来た。
管理責任者である私にラウンジ使用、外部関係者の入退室、飾り付け、食事提供の許可がほしいと言ってきた。
順序だっている。
うん、ここまではいい。
私は少々考えを巡らせた。
いずれ、この子達も社会に出る。
特に日本の社会は細かなレギュレーションの塊だ。
誰もが辟易する。
では、この辺りを少し鍛えておこうか。
「企画書を書いて提出しなさい」
4人のうち、一番喧しいBが答えた。
"A proposal? What are you talking about?"
「だからな、君たちが大学生や社会人になったら、やりたいことの希望を伝えるときに書かなきゃならんものだ。今から書き方を勉強する」
"Ahahaha! Take it easy!"
「…書け」
ということで、Slackに企画書のURLをつけて4人に送信した。
スプレッドシートが返送されてきたのが4日後。
Sが担当になったようだ。
その、企画書を読んで驚いた。
一発目で必要な情報が全て網羅されている!
私の想像では、何度かやり取りして完成というものだった。
それが勉強となる予定だった。
確かに、項目を埋めていけばそれなりのものが出来上がるようにはなってはいる。
彼女の企画書は別添が2枚ついていて、そこには食事の予算と希望メニュー、一人当たりの単価、飲み物の総量、アトラクション詳細、必要な機器(ギターアンプやベースアンプの設置場所、延長コードの長さと本数等)、後片付けの段取り。
社会人のそれだった。
PCのカメラ越しに、
「お父さんが手伝ってくれたのか?」
「いいえ、私が書きました。」
すごいな。
ふと、香港で出会ったジャネット・リーを思い出してしまった。
そのくらい鮮やかに見えた。
訂正箇所を見つけることはできる。
しかし、この子の精神を汚す姑息なことに思えた。
「Okay」
PCの向こうで、彼女が嬉しそうに笑った。
パーティー
当日は、たくさんの人間が来館した。
スケジュール通りに進んでいるようで、食事の提供も滞りがなかった。
スピーチ
宴が盛り上がった時、女子学生のMが全員の注意を惹きつけ、スピーチを始めた。
"Guys! how good was the food? A massive shout-out to the kitchen team for making this happen. Let's show them some love!"
(みんな、料理最高だよね?これを準備してくれたキッチンチームに感謝を。みんなで拍手を送ろう!)
素晴らしい !!!
Mがやらなければ、最後に私がやらなきゃと思っていた。
キッチンのおばちゃん達は、これを聞くとさらに張り切って、予定にないものまで作ってくれた。
作る側も食べる側もみんながニコニコして、この空間には楽しさが詰まっていた。
パーティー終了後にMを捕まえた。
「あのスピーチはとても良かった。みんなをハッピーにしたぞ」
"Actually, this was all S's idea. You know how shy she is, right? So she asked me to do the talking for her. I thought it was a great idea, so I was happy to help out!"
(実はこれ、全部Sのアイデアなの。彼女がどれだけシャイか知ってるでしょ?だから代わりに言ってって頼まれちゃった。いい提案だと思ったから、喜んで手伝ったわ!)
そうだったのか。
「君のあの話術があったから盛り上がったんだ。君はよくやった」
"Thank you!"
清掃
今度はSを探した。
スピーチ準備の手際といい、指名したのが屈指の目立ちたがり屋のM、このセンスはどうだ?
いた。
何をしている?
教師を含めて他の人間がまだ騒いでいる中、一人だけ、黙々と背を丸めて床を拭いている。
ケチャップやこぼした飲み物…。
普通の子供なら、気にしない。
気づいてもやろうとしない。
この光景を見て、私はなぜか涙が滲んできた。
この子は、見えないところにいる人間の存在がわかっている…
稀有なことだ。
理由
Sが帰る。
母上が迎えにきて、駐車場で待っている。
呼び止めた。
「ご苦労さま。みんな楽しそうで良かった」
「はい。今日はありがとうございました」
「なんで床を綺麗にしようと思った?」
突然言われたので、「え?」となった。
「多分、このパーティーが終わったあと、あなたが清掃すると思ったからです」
…… 。
何も言わないでいい。
私が何かを語ったら、彼女の行為が安っぽくなるように思えた。
ご褒美
「ちょっと待って」
事務所の冷蔵庫から、我が家とっておきのスイーツを箱ごと渡した。
翌日の私の誕生日用に、今朝、届いた。
明日は… まあ、いっか。
今は、君を祝ってあげるのが筋だろう。
「多分、君のご両親は君をとても誇りに思っているはずだ。これは、君の気持ちに対する当然のご褒美だ。ご家族と一緒に食べなさい」
弾ける笑顔というのは、こういうものを指すのだろう。
人を幸せな気分にする。
今日はSの日だった。
この子一人が、私を含めた周囲の人間を動かした。
余白
人は誰かに見られていなくても、評価されなくても美しい行為、正しい行為を選べる。
そう思えた。
誰もいなくなったスペースの床、そこに反射する蛍光灯の光を遮る汚れが無い床。
それがそういう気持ちにさせた。
どうか、このまま真っ直ぐに育ってほしい。
コメント