エピソード 13-2|責任の空白地帯
- 5月18日
- 読了時間: 3分
欠如
この衝突は、防げたはずだった。
必要だったのは、Ground Rulesだ。
このブッフェは「全員が一巡できること」を前提にしている
二巡目以降は、全員が来た後で。
これはルールではなく、教育方針だ。
これを、事前に、明確な言葉で提示する。
そうすれば、
「理不尽な制限」ではなく
「システムの仕様」として
受け入れられたはず。
だが、そのルールは存在しなかった。
なぜか。
作る責任者が、いなかったからだ。
空白
学校と管理会社の間に、誰も引き受けなかった領域があった。
想定される摩擦を洗い出す。
起こりうる衝突を「起きる前提」で考える。
それを言語化して共有する。
これができる人間を、置かなかった。
いや、置こうとしなかった。
学校も管理会社も、こう考えていた。
「現場は回っている」
「問題が出たらその時考えればいい」
そして問題が起きたとき、前に出てきたのは
コスト
契約
ルールの後付け
「寮の問題」というラベリング
つまり、経営側の言語だった。
調整
揉め事が起きたとき、私は間に立った。
喫食していない子どものこと、コストのことを説明した。
だが、感情が動いた後の説明は、
「自分の行動を制限される正当化」にしか聞こえない。
結果、外国人教師は夕食をキャンセルした。
そして、子どもたちはその様子を見ていた。
私は、子どものことを第一に考えた。
だから、事後対応を引き受けた。
でも、それは本来、私の役割ではなかった。
組織の設計ミスを、個人のコミュニケーション能力で埋め合わせようとすること。
それには、限界がある。
判断責任はない。
権限もない。
失敗すれば矢面に立つ。
最もコストが高く、最も壊れやすい解決策だ。
問い
「どうせ捨てるなら、食べさせてくれ」
この主張に、どう応えるべきだったのか。
私は今でも考える。
もし、こう言えていたらどうだろう。
「私たちは、あえて捨てる選択をしている」
「それは、後から来る子どもの選択権を守るためだ」
「これは、教育空間としての判断だ」
そして、
「この価値観に合意できないなら、それは価値観の違いではなく、このコミュニティの前提条件との不適合だ」
こう、言い切れるかどうか。
それが、設計者としての責任の有無だと思う。
結び
外国人教師は夕食を全てキャンセルした。
子どもたちは、その様子を見ていた。
さぞかし気まずいものを感じとったことだろう。
IB担当は、「寮の問題」で片付けた。
私は、間に立ち続けた。
そして、誰も評価しなかった。
でも、それでいい。
この経験は、私に教えてくれた。
責任の空白地帯は、存在する。
善意は、設計の代替にはならない。
調整者に押し付けられる負荷は、持続不可能だ。
そして、もう一つ。
設計されなかった教育空間で、いちばん傷つくのは子どもたちだ。
すべての現場には、まだ言葉になっていない設計図がある。
余白
この話に、正解はない。
でも、問いは残る。
もしあなたが、この場にいたら。
子どもの権利を守るために、「捨てる」選択をするか。
合理性を優先して、「好きなだけ取る自由」を認めるか。
それとも、別の道を選ぶか。
考えてほしい。
教育空間は、何を優先すべきなのか。
大人の行動が、子どもに何を残すのか。
そして、
誰が、その責任を引き受けるのか。
私はその場でこれを言えなかった。
だから今、書いている。
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