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観測ノート06|「窓口」

9月30日
読了時間: 7分

更新日:10月23日


日本語コースの子たち

私が着任した初年度、日本語コースに男子8名、女子4名の12人がいた。

全員、本国は中国だ。

彼らが日本に来た理由を、私はある程度知っていた。

中国国内の受験競争、学歴社会、若者の就職難、社会や政治への不安。

家族が子どもの環境や将来の選択肢を求めて、日本へ生活の基盤を移すケースもあると聞いていた。

当校の基準であるN2を取得し、入学試験を通過し、それぞれが何かを賭けてここに来たということも、分かっていたつもりだった。

彼らは、彼らなりの夢を抱いてここに来ていた。

ただ、入学したら終わりではない。

そこから授業についていかなければならない。


ここだ。

授業は当然、すべて日本語で行われる。

N2は入学条件ではあるが、授業で使われる日本語は、日常会話とはかなり違う。

例えば、数学や物理で使う言葉。

数学IIやIIIの内容そのものは、中国人学生の方が進んでいることもあるらしい。

ところが、数学が得意でも、

「接線の傾き」「極大・極小」「導関数」

といった日本語が分からなければ、教師が何を言っているのかをその場で理解できない。

我々の立場を逆にしてみれば分かりやすい。


たとえば、

微分する(導関数を求める) = 求导(qiúdǎo)

導関数 = 导数(dǎoshù)

接線 = 切线(qiēxiàn)

関数の増減 = 函数的单调性(dāndiàoxìng)

極大値、極小値 = 极大值(jídàzhí)、极小值(jíxiǎozhí)

これを中国語で授業中に突然言われて、すんなり頭を切り替えられる人がどれほどいるだろうか。

第二言語で高度な学問を学ぶというのは、かなり難しい。

日本語の音を聞き取る。

その言葉を漢字や概念として理解する。

すでに持っている数学の知識と照合する。

そのうえで問題を解く。

この作業を、授業の速度に合わせて続けることである。

概念そのものを理解している学生ほど、

「分かっているのに、言葉が分からないから解けない」

という、かなり強いもどかしさを感じるらしい。

当然、疲れる。

これが毎日続く。

彼らには、明らかに言葉の壁があった。


クラスと寮の関係

彼らの学業は、すべて普通科の特進クラスで行われた。

一方、生活面は、全員が暮らしていた国際寮が見ていた。

さらに、彼らはもともとIB担当者が現地でリクルートしてきた生徒でもあった。

私は、その国際寮のスタッフとして、彼らと日常的に接していた。

学業の担当ではない。


だからこそ、授業とは別の場所から彼らを見ることになった。

進路や成績の相談は、制度上はまず普通科の担任のところへ行く。

実際、担任に相談へ行った学生もいた。

担任としては、それなりに応じようとしていたのだと思う。

ただ、その対応は、日本人学生と同じように接するというものだった。

それ自体は間違いではない。

ただ、彼らが必要としていたものとは、少しずれていたようだ。


だから学生たちは、IB担当者のところにも相談に行っていた。

数人からは、はっきりとこう聞いた。

自分たちを日本に連れてきたのは、その人だから。

つまり、学生たちは、担任とIB担当者の間を、相談相手を探して行き来していたことになる。


言葉の壁

2年が経過した。

12人のうち、大学へストレートに進学できたのは4人。

2人は早い段階で進路を変更し、3ヶ月ほどで帰国した。

残る6人は卒業したものの、その後、日本語学校か予備校へ進んだ。

現実は、そういう形になった。


その間のどこかに、私や学校が動ける場所があったと、私は当時から思っていた。

今も、その考えは変わらない。

何ができたのかを、今さら細かく言い立てるつもりはない。

ただ、そう思っていたことだけは、ここに残しておきたい。


彼らの言葉の壁は、当時から見えていた。

私は、そのことを報告した。

報告するだけでなく、案も出した。

授業の復習用に動画を撮って、オンラインに置いたらどうか、と提案した。

私自身、もっと学業の中身に踏み込んで関わる必要があると感じていた。

ただ、まだ勤めて1年未満だった。

伝え方は控えめだったと思う。

学生とのやり取りでは、Slackなどのコミュニケーションツールをかなり使っていた。

しかし、担当者や教師へ何かを伝えるとき、それを文字で残しておくという発想が、当時の私にはまだなかった。

だから、その記録は残っていない。

伝えた相手から、特に何か返ってきたわけでもなかった。

反対されたわけではない。

無視された、と言い切るつもりもない。

ただ、その後も何も変わらなかった。


このままではまずいと思い、1年ほど経過したところで、改めてIB担当者と学校事務局に事情を説明した。

このときは明確な返答があった。

当校の基準であるN2を取得した上で授業を受けている。

したがって、そこから先は本人たちの努力の範疇である。

そういう説明だった。

私は、その答えを聞いて、それ以上何も言わなかった。

今考えれば、そこでもう一度押す方法はあったのかもしれない。

普通科とIB担当者の間で、この12人をどう支えるかという話し合いがあったのかどうかは、当時の私には知りようがなかった。

ただ、私の耳には何も届かなかった。

届かなかったということ自体が、ひとつの答えなのかもしれない。


役割

後年になって、校長から聞いた話がある。

普通科の職員は、生活も含めて、現地でリクルートしてきたIB担当者が見るものだと考えていたらしい。

IB担当者は、授業に関わることは普通科の仕事だと考えていたらしい。

担任たちは、彼らを日本人学生と同じように扱うことが正しい対応だと考えていたらしい。

それぞれに、それぞれの理屈があった。


どれも、まったく理解できない話ではない。

ただ、その理屈がぶつかった場所に、この12人がいた。

担当者がいなかったわけではない。

むしろ、担当者は何人もいた。

だからこそ、誰も全体を見なかった。

生活は寮。

授業は普通科。

外国人学生としての相談はIB担当者。

それぞれの担当は存在していた。

だが、生活の中で見えた学業の問題を、誰が拾い直すのか。

授業の中で見えた言葉の問題を、誰が生活側へ返すのか。

その経路が決まっていなかった。


立場

私は、そこにいた。

望んだわけではない。

任命されたわけでもない。

ただ、学生と毎日顔を合わせ、話を聞き、困っていれば相談を受けた。

その結果として、私は学生にとっての窓口になっていた。

学生は私のところへ来る。

私は話を聞く。

必要だと思えば学校へ伝える。

そこまではあった。

では、その先はどうだったのか。

私が伝えたものを、誰が受け取るのか。

誰が判断するのか。

誰が動くのか。

誰が結果を追うのか。

今振り返っても、よく分からない。


窓口

窓口という言葉は便利である。

何かが通る場所を指す。

ただし、それを受け取って、次に動かす人間までは指さない。

学生は私を窓口だと思っていた。

では、学校も同じように思っていたのだろうか。

その「窓口」という言葉の意味は、同じだったのだろうか。

私は以前、任命というものを、役割を与えることだと思っていた。

今は少し違う。

正式に役割を与えなくても、現場では役割が生まれることがある。

人は、必要なところに集まる。

話を聞いてくれる人のところへ行く。

何かをつないでくれそうな人のところへ行く。

そうして、制度には書かれていない窓口ができる。

問題は、その窓口が拾ったものを、組織がどう扱うかである。

窓口があれば、情報は集まる。

だが、その情報を受け取る先が決まっていなければ、そこで止まる。

前者だけが生まれ、後者が誰にも割り当てられていなければ、報告は宙に浮く。

そして、しばらくすれば消える。


12人がいた場所

12人のうち、6人がストレートに進学できなかった。

その6人が、その後どうしたのか。

私は知っている。

本来、私が知る立場だったのかどうかは分からない。

ただ、学生自身が私のところへ報告に来た。

だから、結果として知った。

ここに、少し妙なものがある。

制度上の担当ではなかった私のところに、結果だけが戻ってきた。

私は報告した。

しかし、その報告を記録として残さなかった。

だから今となっては、誰が何を知っていたのか、いつ知ったのか、その時何を判断したのかを追うことができない。

これは、また別の問題として残っている。


この12人のことを思い出すと、今でも考える。

隙間というのは、何もない場所ではない。

担当と担当の間にできる。

役割と役割の間にできる。

それぞれが自分の仕事をしていても、できる。

そして、その隙間にいる人間から見ると、誰も間違っていないのに、誰も自分を見ていないということが起きる。

あの12人は、その場所にいたのだと思う。


 
 
 

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