9 番外編|データで飯を食う
- 7月4日
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更新日:7月6日
データで飯を食う
ここから先、私は転職のたびにDBM(データベース・マーケティング)を武器として使うことになる。その原点だけは先に書いておきたかったので、番外編とした。
PCがほしい !!!
パソコンが必要だった。
どうしても。
私の思いつきが正しいことを、証明したかった。
時代が遡るが、1991年、香港の私の売場にPCがやってきた。
顧客リストをまとめ、支社で一括してDMを出すらしい。
いいことだ。
ようやく、うちの支社も世間に追いついた。
だが、私にとってはそこではない。
顧客リストができるなら、顧客のデータ保管も商品リストもできるはずだ。
顧客のリスト、データと商品データを紐付けできれば、知りたい項目をピンポイントで呼び出せる。
それを、どうしてもやってみたかった。
98と一太郎と「そこじゃない感」
売り場のPCは、PC-9801VM+MS-DOS Ver.3.1。
ふんふん。
おお、ひらがな付きのキーボードか。
一太郎?
「A>jxw」
……ほうほう。こうなるのか。Aドライブね。
インラインコマンド?
乗り越えるしかないな。
ドットインパクト?…英文しか刷れない。厳しいな、これは。
使っていたシャープの書院よりはるかに複雑だが、
汎用性は段違いに高い。
顧客名簿の入力自体は、割とすんなり進んだ。
表記がアルファベットだけなので簡単だ。
ジャネットとベンジャミンが交代で入力し、ついでにPC全般の使い方も覚えた。
このあたりはさすがのふたりだ。
ベンは、大学入試用のアプリをちゃっかり走らせていた。
だが私は、その横で別のことを考えていた。
「その機種ではできない」
私はローカルのエンジニアに聞き、ショップに通い詰めた。
「こうしたいんだが、何をどうすればいい?」
返ってくる答えは、どれも同じだった。
「その機種ではできない」
えっ?
コンピュータだぞ?
本社総務部に頼んで国内の関連雑誌を山ほど送ってもらった。
面倒臭がられたので、現地の旭屋書店に無理を言って、私専用のクーリエ便まで作ってもらった。
資料を読み漁って、ようやく事情がわかった。
100近い属性を管理しようと思うと、
この16ビットマシンでは処理能力が足りない。
と、いうか、運用上無理に近い。
走るかもしれないが、時間がかかりすぎる。
私は、32ビット機が欲しくなった。
80万円の決断
会社に問い合わせると、
「買ったばかりだぞ」
で、おしまい。
そりゃそうですよね。
個人で買うには、モニターなど周辺機器込みで100万円近い。
現実的ではない。
Macも検討したが、DOS機よりさらに高級。
コンパックが日本にやって来るのは、もう少し先の話だ。
諦めかけた。
が、ちょっとした朗報があった。
MacにLCというモデルが出ていた。初代ピザボックス。
英語OSの機種だったら香港でも購入できるが、漢字Talkでないと日本語で印刷ができない。
カラーマシンで、メモリ10MB(12MB積むが使えるのは10MB)、HDDも40MB。
多少のデータなら、たぶん動く。
……と思った。
せっかくだから、念願のMIDI機器もこの際ほしい。
香港までのエアの送料含めた総額は80万円。
私は、将来の自分への投資だと思って、80万円をかけることに決めた。
MIDIも含めて。
ひょっとしたら、ビジュアル系でデビューする日が来るかもしれないし。
日本橋と航空便
1992年7月。ウィンブルドンでは、アンドレ・アガシが決勝で頑張っていた。私が好きなプレイヤーだ。
「自分だけいい思いをして」と嫁が言うのが分かっていたので、帰国休暇を取って二人で大阪へ。
翌日、日本橋(大阪の)。
念願のMacとスタイルライター、モニター、ペリフェラルをまとめて購入。
すでにLCからLC IIに切り替わっていた。
ラッキー。
データベースソフトは一択。
FileMaker Proしか買えない。
MIDIキーボードとシーケンサー、ギターのエフェクター、クラリスのワープロとExcel ver4.0。
この時初めて知ったのだが、ExcelはもともとWindowsではなくて、Mac版が先に開発されたらしい。
全部まとめて買った。
タクシーでホテルに運び、
保険付き航空便で香港へ送った。
ウキウキだった。
没頭
それからの私は、時間さえあればMacに向かった。
ゴルフどころではない。
カード型データベース(Flat-file database)と表計算でどこまで管理できるか、
これに没頭した。
爆弾マークが何度も出た。(Macがフリーズすると爆弾マークが出た時代)
守秘義務を遵守し、会社の利益にかなうこと、定期的に報告すること。
それを条件に、海外事業部から実際の顧客データ使用の許可を得た。
私の過去の信用が、ここでモノを言う。
香港支社の責任者は、なんで私を飛ばす?と怒った。
ごめんなさい。
だって、わかってくれないんですもん。
顧客リストと顧客データの関係性
顧客マップ。
商品の回転率。
データが語りかけてくる。
楽しくて仕方がなかった。
あるローカル銀行の香港駐在員事務所。
駐在員の総数は9名。
そのすべてが私の顧客とわかったときは、正直、嬉しかった。
シンガポールでは、さらに発展した。
Macは自宅用と職場用。
最新機種に入れ替わり、処理能力は段違い。
売場用機材とアプリは一式をリースにして、消耗品も会社が持ってくれたので、個人負担も激減した。
外付けHDDやCD-ROMなどは、こっそり自宅用もリースに紛れ込ませた。
ウィリアムもヴィンセントも興味津々で、プライベート利用を黙認した。
ただし限界もあった。
リレーショナルではないから、データ同士の関係を柔軟に扱えない。
でも、お金がついてこない。
カード型と表計算で、無理やり前に進めた。
結果として、シンガポール支社で使うには十分なレベルに達した。
当時は知識がなかったが、後で言うところのRFMのようなことをやっていた。
現地進出のどの日系企業に強く、どこから嫌われているか(笑)、妙にクリアに見えた。
展開
KL支社もBKK支社も「安く仕上がるから」という理由で導入した。
もっと他に理由があるだろうが! とは、言わない。
仲間が増えれば単純にうれしい。
導入は私が現地でセットアップした。
こうして私は、PCを使用したデータベース・マーケティング黎明期のエバンジェリストに自分を任命した。
このデジタルに関して、最も画期的だったのは、やはりインターネットの登場と、その後の急速な発展だと思う。
私の世代でないとわからないと思うが、インターネットが巷に登場した時期は、わずか14.4kbpsのモデムを使っていた。
メタル電話回線を利用し、「ブー、ピー、ガガガガガ」というアレ。
NetscapeやOperaが登場して間もない頃で、眼鏡フレームのカタログ画像などは運が良ければ、1時間かけて300KB程度のものが得られる。
シンガポール・テレコムの回線整備とSingNetのサービス提供スピードは異常なほど早い。1994年には、128kbpsのISDNの利用やトライアルが始まった。
ここからようやく実用段階と思える速さとなった。FAXも電話も同じ回線で使えたし。
しばらくして出てきたWindows95が、さらにネットの普及に拍車をかけた。
当時思ったことは、素人ながら、これは必ずマーケットを何らかの形で革新するということ。
物販や予約システムは想像できたが、生活自体が様変わりするところまでは考えていなかった。
ただ、この技術に遅れをとっては話にならないという点は十分に感じ取れた。
しかし、うちの社内でこの技術の普及には長い時間がかかった。
なぜか?
使おうとする人間が一握りもいなかったから。
私は、データの次の目標としてネットの技術を自分に取り入れようと決めた。
データで生活するんだ!
誤解してほしくないのだが、私はPCオタクではない。
ゲーマーの皆さんの方が、私よりよほど詳しい。
私が手に入れたかったのは、『PCの知識』ではなく『データで飯を食う技術』だった。
顧客データを読み解き、商品の動きを予測し、売上を伸ばす——
これは、どの業界でも通用する。
今後続く転職の入り口は、すべて『DBM / データベース・マーケティング(顧客データを分析して売上につなげる技術)』だ。
80万円の投資(MIDI込み)は、会社に依存しない生活を買う投資だった。
この次には、ネットの技術がDBMと同等のリソースとして控えている。
ここで止まる
ただし、シンガポールでの進化は、ここで止まった。
ボブの一件。
新規制対応。
優先順位が変わったからだ。
このスキルが、本当の意味で試されるのは、新聞社の現場になる。
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