6-2|握手がない別れ
- 7月4日
- 読了時間: 5分
更新日:7月17日
ボブへの告知
93年10月。
さて、ここから。
会社が生き延びなければスタッフの生活は保証できない。
私は要旨をA4用紙2枚にまとめ、1部を彼、もう1部を私用に準備した。
これに沿って説明する。さらに、レコーダーを用意した。
私の事務室を出入り禁止にし、違う自分を演じ、ボブに事情を説明、提案した。
彼は猛反発した。
本当に、体を震わせながら話す人間を見たのは、私の人生ではこれが最初で最後だ。
彼の受け止め方は、降格に対する屈辱、今まで下で働いていた人間の指揮下に入ることへの拒絶、給与が下がることで家族に対する面目の失墜。
要約するとこういうことだった。
最終的に、彼は理不尽な扱いを受けたということで、レイバーデパートメント(当時)に訴えると主張した。
私は宥めた。
これは今後を見据えた「会社のサバイバル・プラン」で、君の勤務態度や能力の案件ではない。
むしろ、君が今後の定年後を見据えた働き方ができるよう、便宜を図るつもりでいる。
君が望めばダブルワークも許可する。
定時退社、休日確保にも便宜を図るし、業務量も減る。
それに、言いにくいが、君はOOB対策、CLP対策に具体的な力となってくれるか?
合格しなければ、全員道連れになってしまう。
落ち着いて考えてくれないか。
彼は席を立って出て行った。
渡したA4の2枚は、丸めて売り場の隅に投げ捨てられていた。
私は自分がしたことに自信が持てていなかったことに気づいた。
就業時間が過ぎても、椅子から立ち上がる気になれなかった。
年月が経過した今でも言葉にするのは難しい。
が、その時、やろうとしていたことは必要なことだとも理解していた。
ウィリアムとヴィンセント、それぞれの道
一つひとつ、状況を整理し、対応策を練った。
まずはウィリアムに資格申請をさせる必要があった。
マネージャー昇格の話は、ボブとの一件が完了してからだ。
費用は会社持ち、ライセンス取得後5年間の拘束はするが、取得した資格、それは君の個人資産となる、と話した。
通常は3年の拘束が一般的だ。
私は、そこを認めた上で、会社としての費用対効果、有資格者になることと5年間で得られる有資格者としてのマネージメント経験、個人と会社のバランスを考えて5年と説明した。
やる気が起こったようだ。
考えてみれば、ウィリアムがこれほどの笑顔を見せたことは初めてのような気がした。
誰にとってもモチベーションは大切だ。
これはこれでいい。
次にヴィンセント。
常にウィリアムとチームとして活動してきた。
片方が好条件で、彼には何もないというのでは、バランスが取れない。
幸い、彼の奥さんはマレーシアで生まれた人で、日本に親近感を持ってくれていた。
KLで育つうち、マハティールさんの『Look East』政策の影響があったのかもしれない。
彼も日本の文化と深い関わりを築ける環境に身を置きたかったようだ。
私は、本社の許可を得ずに、彼を日本語学校に通わせることにした。
相談すれば、どうせあれやこれや言われ、時間がかかるに決まっている。
今は組織の安定が最優先という課題がある。
ウィリアムの件を説明したあと、2年間ほど、日本語学校に通わないかと持ちかけた。
君が日本語を話せるようになれば、この売り場の日本人客にもメリットが大きい。
彼はこれを非常に喜んだ。
あとで本社と揉めても保護されるよう、私の支社長名義で合意書を作って持たせた。
これでコース修了までは大丈夫だ。
こうなると私は確信犯以外の何者でもないが、構わなかった。
案の定、後日出張で帰国した時、海外事業部はもちろん、専務と財務部からも呼び付けられ、コンセンサスを軽んじたことの大叱責を食らった。
財務の部門長は、あの元ホノルル支社長だ。
「こういうことになるの、わかっててやったんだよね?」
最後は苦笑いで逃がしてくれた。
――ああ、この人も同じことをしてきたんだ
私はすぐにわかった。
トミー・ボーイ、シンガポールへ
支社の将来に向けて、今、打てる手は打ったつもりだ。
まだ問題があって、前述したように私のライセンスでは数年後に始まるOOB規制の要件を満たさない。
ホノルルのオプティシャン、太いトーマスをここに当てはめる。
体は重いが独身だから身軽だ。
なんと言っても35歳だ。
世界を楽しめ。
トミー・ボーイのライセンスは間違いなく許可が降りることを、会計士事務所経由で確認を取った。
さすがに人事のことは海外事業部を通さないとまずいので、提案書を作成して送った。
出張時に怒られたばかりだし。
これで、ウィリアムがライセンスを取得するまでの設計が完了した。
トミー・ボーイのシンガポール着任に伴って、私のシンガポール勤務は終了する。
引き継ぎ開始当日、彼を迎えに空港に行った。
相変わらず太っている。
飛行機で追加料金を取られなかったか?と聞いたら、ちゃんと飛んだから問題ないはずだと言っていた。
トミー・ボーイは気のいい人間だ。
陽気な太っちょのアメリカン、これがピッタリ。
支社のスタッフとも折り合いがつくに決まっている。
あとを頼む。
エピローグ
…シンガポールを離れてから随分と時間が経った。
疫病神という言葉は、今でも時々、どこかから戻ってくる。
私は組織を守るために、個人の生活に介入した。
問題が発生した後、何が起こるかもわかっていた。
一人の人間の生活を犠牲にするしかなかった。
強い良心の呵責があった。
私が若かったころ、自分が苦しんだあの感覚。
それを今度は私が、人に押し付ける。
結局私は、良心を殺した。
あの時の判断が正しかったかどうかは、今でも答えは出ていない。
ただ、もう一度あの日に戻っても、私は同じことをすると思う。
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