4-2|爆発――そして無視
- 7月4日
- 読了時間: 4分
更新日:7月5日
私さえ倒れなければ
爆発――そして無視
毎日つまらないやり取りが続いてあっという間にその年が終わりかけた頃、ちょっとした事件が起きた。
当時の私は1日12〜14時間勤務、休みは百貨店の定休日が週に1回という勤務条件だった。
建前は全く違う。月間休6日、8時間勤務。
これがクリスマスが近づくにつれて、定休日がない代わりに代休が週一、勤務時間はなんと、朝9時から夜中の12時までという気が遠くなるようなものが3週間続く。
夜型社会の一面だ。
事件はそれではない。
流石に毎日15時間の連勤はきついので、ある夜だけ香港支社の責任者が私に変わって売り場を見てくれることになった。
午後7時に先に帰宅していいよと連絡があったので、私は帰った。
住んでいるプライベートアパートメントまで徒歩1分の近さ。ここは恵まれている。
その後9時頃に責任者に相談があって、散歩がてら売り場に出向いた。
ところが、何か急用があったのか、責任者は不在のまま、現地スタッフ3名だけで運営していた。
問題はここ。
現地スタッフばかり3名。
あろうことか、彼らは売り場でボールを投げて遊んでいた。
これは、ただの注意で済ませると、絶対に再発する。
百貨店の手前もある。
職場で積もっていた不満もたくさんある。
私にとっては、現場の尊厳を守るための境界線を踏み越えられた瞬間だった。
私は爆発してしまった。
売り場を通り越して、フロアの隅々まで怒声が響いたはずだ。
英語でも広東語でもない。日本語でやってしまった。
この売り場を守ろうとする人間がどれほどのコストを払っているか、それを知らない者への正当な拒絶だと思え、私にはこういう気持ちがあった。
その夜だけ、スタッフはしおらしくなった。
しかし、輪の外の人間に対して、こういったことが後々まで尾を引くのが、うちの香港支社の職場文化だったのかもしれない。
翌日からスタッフは申し合わせたように私を無視することを決め込んだらしい。
私さえ倒れなければ
こうなれば私も楽しくないが、スタッフも同じで、一人辞め、また一人辞めと言うように徐々にオリジナルメンバーがいなくなった。
支社の責任者からは、マネージメントはちゃんとできているかと訊かれたが、「どの口が言う」という態度が現れたと思う。
ただ、人がいなくなるとちょっとした作業が不便になる。
レジ打ち、備品の補充、ディストリビューターへの連絡。
私は次から次へと募集広告を打った。
このクリスマスの年度の採用教育費は前代未聞の金額だと怒られたが、店が回らないでしょ?で片付けた。
責任者から見れば、私は可愛げのないクソ野郎と見えたに違いない。
今、思えば、私はやりたいこととできないことの間で追い詰められていたのかもしれない。
私は何度も元の上司、ホノルル支社長に相談しようと思った。
実際に、受話器を何度も手に取った。
でも、結局電話はしなかった。
私の問題だ。
しかも責任者の端くれだ。
自分で乗り越えないとカッコ悪い。
この時の私は危ない方向に覚悟を決めた。
私さえ倒れなければこの売り場は回る。
駐在員にしても、うちを利用する現地の富裕層にしても、結局は私を目当てにやってくる。
だから、私なんだ。私がきちんと守ればなんの問題もない。
なんだったら、本気で一人でやってやる。
当時の私は、そう考えた。
しかし、トラブルばかりが私を目がけて突っ込んでくる。
これが試練っていうものか?
いや、違う。
そんな高級なものではない。
どう見てもただの現実だ。
広東語――内緒の挑戦
その頃、私は広東語の学習を始めた。
社内では誰も知らない。
こちらが周囲に要求するばかりではなく、私にできることはやっておこうと考えた。
休日に教室に通って、聞く、話す、のちょっとした挨拶程度はできるようになり、発音だけは褒められた。
しかし、あの画数が多い繁体字を書きたいとも読みたいとも思わない。
1年少々で挫折。内緒にしておいてよかった。
でも、奴らは本当にこれが書けるのか?
新人ばかりが二巡し、三巡目に差し掛かった頃、私はジャネット・リーと言うパートの女性を採用した。
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