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4-1|守るものの順番

7月4日
読了時間: 5分

更新日:9月27日


香港と眼鏡学校――両方とる

人生は、本当にうまくいかないことが多い。

香港勤務に手を挙げたのはいいが、眼鏡学校入学も同時期に決まった。

人事から連絡があって、どちらを優先したいか訊かれた。それに合わせて片方をリスケジュールする。

あの上司に相談したら、「お前のことだ。お前が決めろ」でおしまい。

私は妙案を思いついた。

眼鏡学校に問い合わせ、通信教育が可能かどうか確認した。

数日して返答があり、「社会人用のそれはないが、継続する意思があるなら地方在住学生用のコースで考慮する。」

それって…、同じものじゃないんですか?

頭には浮かんだが、口には出さなかった。

おそらく学校側も地方の眼鏡店に対する通信教育の可能性を探っていたのではないかという非常に微妙なタイミングで、この話はまとまった。

会社はあの上司が説得してくれた。

方向を決めたら、できることをきちんとやってくれる。

私もこういう行動が取れる人間になりたいと本気で思った。カッコいい。


結婚――退路を断つ

赴任前にもう一つ、大仕事が残っていた。

結婚。

本当に悩んだ。

彼女が海外生活に馴染むかどうか、大学を卒業して、これまで築き上げてきたものを置いてこなければいけない状況に対して、申し訳ない気持ちがあった。

彼女はピアノの講師だった。

音楽学部を出て、各社のグレード試験に合格し、自分の生徒を持ち、よく有名奏者の演奏会のヘルプで呼び出され、自分自身の活動を行っていた。

自分の足で立って生活できる人で、彼女の名刺には「Pianist」と書かれていた。

私のために、それを置いて来て欲しいとは切り出せなかった。

でも、訊かなければ先に進まない。

彼女の返答は、

「うん。行くよ。香港に。あっちでまた生徒を募集するし。」

私は、退路を断つ意味合いで、結婚してから赴任することにした。

絶対に生活も業務も破綻させない。

どちらかが破綻すれば、両方とも失う。

そういう条件の赴任だと考えた。

「ところで、おまえ、英語できるの?」

「いーや。日本人駐在員の子どもを募集するんよ。考えたらわかるでしょ。」

意外と簡単に収まるべきところに収まった。


香港の駐在員はほぼ全て、会費を払って家族ごと日本人クラブに所属する。

嫁はクラブ内で合唱部に入り、コーラスの伴奏係を務めた。

意外と戦略家だ。

そうすると、彼女が動かなくても子弟のレッスンの問い合わせが入ってくる。

そして香港で私と暮らし始めて4年後、彼女の収入は私のそれを上回った。

悔しいと思うべきか、私の給与が安すぎるというべきか。

どちらにしてもややこしい家庭内事情となった。


なぜ手を挙げたのか

さて、その香港。

私は、立派なことを書くつもりは毛頭無い。

自分がなぜ荒海に乗り出し、人が嫌がることを手を挙げてまで望んだのか?

そういうことは、私以外の人に尋ねてほしい。

私は私のためにこれをやってみたかった。

それだけ。

当時は28歳だった。仮に失敗して帰国となっても、やり直せるという打算もあった。

途中で帰国する人がいる反面、きちんとやり遂げて次の任地に向かう人もいる。

ホノルル支社長がそうだ。

少なくとも、これを乗り越えられる人は乗り越えられない人とは違う考え方を持っているはずだ。

ここまで気づいて素通りする?

人にできて私にできない?

できる人の仲間に入りたいんじゃないのか?

いつも言うことが偉そうだが、これには眼を逸らすのか?

じゃあ、行ってみなきゃ。

単純にこれだけ。人に語って誇れるような動機ではなかった。


着任――聞いていた話と全然違うんですけど

私が1987年2月に赴任し、嫁は半年後に来港することとなった。

会社は、まずは私が逃げ出したりしないかどうか確認したかったらしい。

その半年が過ぎて、家内がやってきた。

落ち着いた環境にはなったが、職場は聞いていたよりも、私の精神にネガティブなモノを突き刺した。

私は日本の生活において、善意が社会生活の基本と感じていた。

でもここは違う。

私が着任した店はスタッフが7名。

前話で述べたような理由で、まず、日本語が通じないし、英語もカタコト。

まあ、これはお互い様だ。

これは赴任前に会社から聞かされた話とまるきり違う。

少なくともマネージャークラスは英語を理解し、これを通じて現地スタッフをコントロールする。

この前提が初日で崩れた。


疎外という武器

ネガティブなモノが何だったかというと、私の職場のスタッフは、疎外感を武器に気に入らない人間を輪の外に弾くことをどこかで学んだらしい。

同質化を望んでいる。

これが、職場文化の前提としてあった。

当初、まあ、こういうこともあるだろうなとは思っていたが、私が差し出す会話の糸口、業務上の指示がわからないフリをする姑息な方法、自分は会社のためにこれをやっているという滑稽なオーバーアクション、一体どこでそんなものを仕入れて来たんだ?ということばかり。

口の中に食べ物を入れたまま売り場に出る、良くない行動や行為を注意すると、私たちは全員同じ考え方を持っている、だからあなたが私たちに合わせるべきだ、ここは香港だ。

こういう返答が返ってくる。

彼らには彼らの論理があって、尚且つ、私はいつ香港を放り出して帰国するかもしれない日本人の一人だ。

私は、店が機能すれば結果として皆の生活も守られると考えていた。

しかし、彼らは、まず自分自身の生活が守られなければ店を守る意味はないと考えていたように見えた。

同じ職場にいても、守ろうとしている順番が違った。

快適な職場でなければ、転職すればいいじゃん。どこでも求人してるし。

これが彼らの底に流れている。


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