12|何も起こさないことが仕事
- 7月4日
- 読了時間: 8分
更新日:7月4日
何も起こさないことが仕事
ホテルチェーンへ――データの予感
次の職場は、人材紹介会社を通して決めた。
希望条件として伝えたのは、マーケティングに関われること、データを扱えること。その二点だった。
いくつかのサービス業の中から、上場の大手ホテルチェーンから一度会ってみませんか、という話が来た。
正直、少し意外だった。
ホテル?
宿泊客名簿。
予約・宿泊履歴。
利用頻度。
頭の中で、勝手にRFMが浮かんだ。
過去の延長線上で、何かはできそうだと思った。
三次面接は役員面接だった。
私は、これまでと同じように、やりたいことを正直に話した。
すると、その役員はこう聞いてきた。
「今あるデータを使う、ではなくて。これからホテルに必要なデータを作ることはできますか?」
要するに、売上につながる"仕組み"を作れるか、という問いだと思った。
できる、と答えた。そればかりやってきたから。
最初はフロントから始めてもらうが、それでいいか、とも聞かれた。
接客経験はある。問題ないと答えた。
翌日電話があって、入社が決まった。
想定と現実
私の頭の中には、データ以前に、いろいろなものが浮かんでいた。
館内の動線、食事の質、客室の装備、駅や空港からの導線。
だが、実際に私がホテル勤務の8年間で最も多くの時間を割くことになったのは、苦情処理だった。
入社してほどなく、私はエリアの統轄責任者を任された。
若い社員が多いエリアだったので、重石代わりという意味合いもあったのだと思う。
担当する売上規模は不安になるくらい大きかったが、各事業所は概ね順調だった。
意外と知られていないが、ホテルは最大売上というものがほぼ決まっている。
部屋数 × 最大収容人数 × 1人あたりの表示価格 × 365日。
食事や施設利用料は含まない。これがゲームでいえば「最高得点」だ。
毎日、この最高得点にどこまで近づけられるかの工夫を行う手法として、RevPAR、ダイナミック・プライシング、イールド・マネジメントがある。
だからここは徹底的な「数字の仕事」だった。
過去データと空室率を突き合わせ、競合他社との料金差を比較し、各施設ごとに価格調整を行う。
その一歩手前にある売上予測と需要予測、いわゆるフォアキャストも極めて重要だった。
最初の判断
最初の苦情は、私の管轄エリアで起きた。
スタッフの対応に不満を持ったお客様が、支配人ではなく責任者と話したい、と言い出した。
支配人が判断に困り、私に連絡してきた。
東京から飛行機と列車を乗り継いで夜のうちに移動し、翌朝、直接話を伺った。
当時、宿泊予約サイト(OTA)は先進的ではあったが、扱いきれない顧客も多く存在していた。
予約サイトで、最も安いプランを一泊ずつ2泊3日分。
結果として連泊になったが、プランで使用する客室が異なるため、実際には部屋移動が必要になる。
フロントはそこに気づき、事情を説明している。
だが、受け入れてもらえなかった。
お客様の主張はこうだった。
「そこはホテルが気づいて調整するものだろう。誤解を招くような表記も悪い。誠意を見せろ。」
ここで、線を引く必要があった。
要求には、正当な要求と、不当な要求がある。
不当な要求に応じれば、今度は現場が壊れる。
他の事業所で同じことをされるのはもっと困る。
私は、お断りした。
1泊分は返金し、その朝をもってチェックアウトしていただいた。
本社に苦情を申し入れる、と言われたが構わなかった。
私が今、前例を作っている状況だと思った。
そして、私はスタッフに対しては、私は君たちの側の人間なんだということをわかってもらいたかった。
午後、あの役員から電話があった。
「どういう考えで、そう判断した?」
(おゎっ!あの人、本当に電話したんだ)
私は真面目に答えた。
「不当な要求から、事業所を守る必要がありました。」
この一言に、役員は反応してくれた。
私が役職に値するかどうか、測っていたのかもしれない。
後になって分かったことだが、この一件で、私は「苦情処理向き」と判断されたのだと思う。
それは、謝罪ができるという意味ではない。
判断を引き受け、現場を壊さずに収束させられるかどうか、そこを見られていたような気がする。
もちろん逆もある。当方に落ち度がある場合は、先方が正当な権利を持つ。
誠心誠意、謝罪をした上で、次回以降もご利用いただけるよう考えて行動する。
苦情ではなく、構造を見る
それ以降、苦情対応は私の役割になった。
全国を、1日で1400km移動することもままある。
ちょうど、千歳から福岡と同じ距離だ。
私は、移動にいちいち理由を求められることが少なくなった。
必要と思えば、当日の航空券を私の判断で押さえた。
経費も同じ。会社の金なので目的を説明するが、必要と考えたものはダメといわれることが減った。
ただ、私がやっていたのは、謝罪することではない。
起きてしまったことを、起きない構造に変えることだった。
たとえば、機械式駐車場の停止。
頻発する時がある。
早朝から、支配人も休日の人間も対応に呼び出されることになる。
これが続くと、最初の出庫時刻の6時頃、支配人は自然に目が覚めてしまうと言っていた。
営業車両が使えなければ、出発予定の宿泊客に直接影響が出る。
大事な取引に絡んでいれば、損害賠償にも発展しかねない。
私は、その場の対応で終わらせないようにした。
同じ設備を使っている他の事業所を洗い出し、過去のトラブルの有無と状況を確認する。共通する内容を基に製造元へ連絡し、構造的な問題として一緒に潰す。
良心的な製造元担当者は、エリアの他の機械を自発的にチェックしてくれたこともあった。
対応のためにメンテ回数を増やせば、来期の予算は膨らむ。
それでも、OTAの口コミに悪い評判が積み上がっていくよりはるかにマシだ。
加えて、夜勤に早朝4時の出庫オペレーションを組み込んで、異変の有無を事前に察知する体制を作った。
これは危機管理、インシデントマネジメントだ。
私はこれを、マーケティングの一種だと思っている。
最終的に売り上げに貢献する部分があるかもしれないが、むしろ「信頼を失わないためのマーケティング」。
面接の時の役員は、こういうことを指して言っていたのか、と、この時になって初めて理解できた。
気づき――構造を整える人間
この仕事で、判断力は確実に鍛えられたと思う。
正当か、不当か。
今、譲るべきか、引くべきか。
誰を守るべきか。
だが同時に、はっきりしたこともある。
私は人をまとめるより、構造を整えるほうが向いている。
人と一緒にやることは、想像以上に難しい。
私に見えているものが、そのまま周囲にも見えているわけではない。
だが、
一人で判断し、責任を引き受ける場では、私は力を発揮できると思えた。
この感覚は、後に寮という現場で、決定的な意味を持つことになる。
リーマンショックと、ワーク・シェアリング
もう一つある。
私がまだエリア担当だった頃、リーマンショックが起こった。
当然、売り上げはどの事業所も下がる。
ホテルと小売は最初に影響を受け、最後に回復する職種の代表だ。
当然、固定費の削減を行う。あの眼鏡店時代の最後の売り場、常務からパートさんの削減を言われた時の状況と似てきた。
私は担当する17事業所を回って、支配人に主旨を理解してもらった上で、パートさん、派遣社員一人一人と面談を行ない、派遣元には事情を説明した。
ワーク・シェアリング。
月間の実働時間を基に、パートさんの個々の勤務時間と比率を割り出し、全体的に10〜15%下げることの協力を仰いだ。
その代わり、人員削減はしない。
評判は良くないし退職者も出た。
が、人件費、勤務時間という資源を全員で分け合うということを説いた。
当然、一般社員も残業をなくす方向で調整し、会社の決定で賞与削減、昇給なし。
乗り切ることはできたが、同時に失ったものも多くあった気がする。
全員に同じ重さで公平に行えたかという点が、最も不安だった。
後になって、同率削減が同じ重さではないことを、個々で異なることを、人の話から知った。
月10時間減ることが生活にほとんど影響しない人もいれば、その10時間が家計を左右する人もいる。
難しい言葉で「限界効用」というらしい。
その時、私はあの不安の正体が何だったのか、ようやく理解した。
人の生活のどの部分に繋がるか読みきれなかった。
ちょっと深く考えればわかることだ。
数字の公平と血の通った公平の違い、そこを見逃してしまった。
これは大失敗だ。
幸いなことに気付いたのが8ヶ月目のことで、回復基調に移ったのもほぼ同時期だった。
企業の出張は無くならない。
そこを総取りするつもりで価格調整を行った。
業績の落ち込みが少ない事業所とそうではない事業所を平均させてもらった。
1ヶ月間だけ様子見の期間を設けた9ヶ月目、少々無理はあったが旧の体制に戻せた。
結果が明確に見えないことが、マーケティングと異なる。
こういう仕事の難しさだと、後になって分かった。
退職――好きな仕事を離れる理由
でも、私は、この仕事が好きだった。
あれだけこだわった売上ベースのマーケティングよりも向いていた。
しかし、私がこの職場を去った理由は、とても現実的なものだった。
翌年、役職定年が迫っていたこと。
それに伴い、部門長としての手当がなくなる。
収入が大きく下がることが分かっていた。
ちょうどその時に、長男の大学進学が重なった。
この仕事が好きかどうか、
続けたいかどうか、
そういう話ではなかった。
家族の生活そのものに対する責任をどう果たすか。
好きだけでは家族を守れない、その一点での判断だった。
役職定年を機に、退職した。
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