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エピソード01|壊れた楽器

  • 5月18日
  • 読了時間: 3分

序文

寮で過ごした時間の中で、一人の学生と、二度、同じ場所に立った。 一度目は、祖父の形見の楽器が壊れた日。 もう一度は、共同生活のルールをめぐって、 彼と私が別々に登りかけていた梯子が、同時に外れた時だ。 次の二本(エピソード1、エピソード8)を読んでほしい。



生活と学業のあいだで

留学生寮で働いていると、 学生の生活の仕方が、そのまま学校での様子につながっていることを感じる。


ある中国人の男子学生がいた。

エピソード8の彼だ。

来日当初の彼の家庭は不動産業を営み、裕福だった。

しかし、本国の不動産バブルが弾けると状況が一変した。 留学にかけられる余裕が限られてきたようだ。 親に負担をかけている分、彼は真面目で、学業に熱心だった。


一方で、寮の生活面では摩擦が多かった。 夜型の生活、深夜の通話、時間の感覚の違い。

彼だけではない。全ての学生に起こり得ることだ。

悪意があるとは思わなかったが、 共用の洗濯機の占有など、共同生活の中では問題になりやすい。


徐々に遅刻が増え、学業の集中力も欠けるようになった。

それが文化の違いなのか、彼個人の生活習慣なのか、私には判断できなかった。


私は寮の立場として、特定の学生にだけ踏み込むことを避けていた。

距離を取ることも、役割の一部だった。

ただし、ことの軽重にもよるが、私が必要と判断した時は、建前を崩すこともあった。


ヴィオラ

そんなある日、 彼が大切にしていた楽器、ヴィオラが壊れた。

亡くなった祖父から贈られたものらしい。

ここは日本だ。彼の交際範囲は広くない。

友人も教師も充分に彼の相談に乗り切れなかったのだろう。


普段は挨拶も返ってこない関係だったが、その時だけは、私に助けを求めてきた。

本当に困っていなければ私のところへは来ない。

これは放って置いてはいけないと、私の頭のどこかで警報が鳴った。


彼にとって楽器が壊れたことは単なる物理的、物質的な損失ではなく、彼の「アイデンティティ(祖父との繋がり)の崩壊」を意味していると私は捉えた。

これが疎かにされると、学業の問題がさらに発展するかもしれない。


変化

私はネットと電話で修理できる業者を探し、連絡を取り、梱包を手伝った。


一か月ほどして、楽器は戻ってきた。


この出来事が、何かを変えたように見えた。

必要な時に応答してもらえる関係があることを、彼は初めて実感したのかもしれない。

私の話を理解しようと努めるようになり、共用の洗濯機から自発的に洗濯物を回収するようになった。


同様に、共用スペースで課題となっていた食事テーブルの状態も改善された。

食べ物が散らからなくなったのは、他者がそれをどう感じるかを意識した結果なのかもしれないし、彼の内側で、何かの順番が変わったのかもしれない。


あるいは、規則を守るというより、他者との関係性を持つことで、彼の内部で何かが改められたように見えた。

彼なりに判断して行動するようになったのだろう、結果として遅刻や欠席が数字として減って行き、学業に対する落ち着きが徐々に戻った。


思ったこと

生活が整えば、学業は自然に落ち着く。

逆もある。


この件は、個人同士の関わりがほんの少し環境を変えたと思っている。

しかし、それは制度の隙間を縫った偶然のような出来事でもあった。

だからこそ、本来は仕組みで支えるべきことなのだと思う。

この仕事をしていると、そのことを何度も確認することになる。


学校の問題は、教室の中だけで起きているわけではない。

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