エピソード 05|学校が規則を崩した日
- 5月18日
- 読了時間: 3分
更新日:7月6日
――私が沈黙を選んだ理由
例外
一人の学生が寮を出たいと申し出た。
家庭は裕福で、両親は故郷でもちょっとした有名実業家という話だった。
過去に問題行動があり、進学の過程も平坦ではなかったらしい。ブランクもあった。
日本のIBを選んだのも、選択というより、本人の進み方を整理した結果だったように見えた。
彼は学業成績が良いとは言えなかったが、カナダ国籍を取得した兄の影響もあって、英語だけは流暢だった。
香水をつけ、ブランドものを身にまとい、地方の学校にはそぐわない雰囲気をまとっていた。
それでも、不思議と私との会話は成立した。
2人とも「Bruno Mars」の大ファンだった。
音楽の話だけは噛み合い、学校の言葉には耳を貸さなくても、私の言葉には反応した。
学校の寮は、華やかさとは無縁の場所にある。全寮制は18歳の彼にとっては退屈で、息苦しい環境だったのだろう。学校と交渉の末、彼は一時間かけて街中から通学することを認められた。
条件が通らなければ退学し、別の国でやり直すつもりだと聞いた。
前例
私はそこで立ち止まった。
この判断が前例になることは、容易に想像できたからだ。
ほどなくして、同室の別の学生も、同じ選択をした。
同じ学年で、ほぼ同時期に、二人が寮を出た。
学校はこれを止めなかった。
理由を尋ねると、対外的な説明はあったが、言葉は多くなかった。
推測はできる。引き止められるだけの理由を見つけられなかったからだ。
少子化の現実、経営の事情、海外からの学生確保。学校が置かれている状況は理解できた。教育と経営が無関係ではいられないことも、分かっていた。
それでも、学校は自分で定めた規則を、自分で崩した。
それを言葉にし、説明することはできた。
しかし、しなかった。
分岐
二人の学生には話をした。思いとどまらせるためというより、手続きを整えるためであり、本人たちの覚悟を確かめるための会話だった。
先に寮を出た学生は、危ういながらも卒業までたどり着いた。最後に挨拶に来たとき、通学を続け、やり切ったことを褒めた。
が、自宅では勉強そっちのけで自分がやりたいことしかしていなかったはずだ。学業の軌跡を見ればすぐわかる。
後から出た学生は、生活が乱れ、不登校となり、やがて学校を去った。
SNSで投稿を見かけたが、日に日に派手さが募っていったようで、私が知っている彼とは別人となり、数ヶ月後には更新されることもなくなった。
結果だけを見れば、「寮を出ることが失敗の原因だった」という物語は作れる。あるいは、「通学を続けたから成功した」という説明も可能だ。
だが、それらの結果が、あの時私が踏み込まなかった理由を正当化するわけではない。
二人が寮を出たあとも、しばらく宅配便が届き続けた。
香水や衣類、小さな電子機器。
受取人の名前は残っているのに、部屋は空室だった。
箱は事務室の隅にそのまま積まれ、最後は学校側で処分された。
沈黙
本国の両親が考えていることは、想像できた。
学歴そのものよりも、そこに至るまでの時間。入学と退学を繰り返すことが、人生の速度をどれほど狂わせるか。
裕福かどうかは、問題ではなかった。
それ以上踏み込めば、自分の立場が変わると分かっていた。
私は学校の職員ではなく、管理会社の受託者としてそこにいた。
私は、教育として正しいかどうか口にしなかった。
学校も私も、何が正しいかは分かっていた。
しかし、それを言葉にすれば立場が崩れる。
学生をその間で揺らした。
これが教育なのかどうかは、その時点では考えないことにした。
結び
結果、「場」は崩れなかった。
それでよかったのかどうかは、今も判断していない。
その沈黙が、彼らを守ったのか、制度を守ったのかも分からない。
ただ、あのとき私は、そう振る舞うことを選んだ。
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