<?xml version="1.0" encoding="UTF-8"?><rss xmlns:dc="http://purl.org/dc/elements/1.1/" xmlns:content="http://purl.org/rss/1.0/modules/content/" xmlns:atom="http://www.w3.org/2005/Atom" version="2.0"><channel><title><![CDATA[Japan Life Support Hub]]></title><description><![CDATA[留学生と共に成長するサポート]]></description><link>https://www.office-ef.jp/blog</link><generator>RSS for Node</generator><lastBuildDate>Mon, 03 Aug 2026 14:04:48 GMT</lastBuildDate><atom:link href="https://www.office-ef.jp/blog-feed.xml" rel="self" type="application/rss+xml"/><item><title><![CDATA[1｜電気が止まる家から]]></title><description><![CDATA[電気が止まる家から 家庭環境 私の家はよく電気が止まった。 単純に、電気代が払えなかったからだ。 冬の夜は暗いし寒い。 ただ、小学生の頃の私には、勉強しないで済む理由になっていた。 私はそういう家庭で育った。 私が3歳の時に母と父は離婚した。 母はこの父と再婚だったので、上の3人と私とでは父親が異なっていた 子ども全員を母が引き取った。母は被爆しており、体調の悪い日が多かったが、それでも農協のスーパーにパートで勤務した。 戦前の母の暮らしは、贅沢ではないにしてもお嬢さんだったらしい。 母の口癖は、「もし原爆が落ちていなかったら、もうちょっと違った暮らしができたのにね」。 炊くお米がない時、こう漏らしたことがあった。 子供ながら、今を受け入れている母の境遇を辛く感じた。 母は受け入れるしか選択がなかったのかもしれない。 父のことも付け加えておきたい。 職業軍人の下士官で終戦後に大陸から復員し、戦場の経験を癒すために宗教団体に入信したと聞いた。 その縁で数年後、3人の子連れで、同じく入信していた寡婦の母と再婚したようだ。 無口で酒量が多かったらしい。酒に逃げたのかもしれない。...]]></description><link>https://www.office-ef.jp/post/%E3%83%AF%E3%82%BF%E3%82%AF%E3%82%B7%E3%81%AE%E5%BD%A2%E6%88%90%E5%8F%B2-1</link><guid isPermaLink="false">6a47d1e5ce3edcefadb5b565</guid><pubDate>Sat, 04 Jul 2026 02:25:17 GMT</pubDate><dc:creator>office.ef.admin</dc:creator></item><item><title><![CDATA[2-1｜Rebel "With" a Cause]]></title><description><![CDATA[学歴の壁、周囲への反発 私は会社に反抗していたわけではない。 仕事に対する姿勢、これが合わない人たちに反抗した。 社内試験で比較された私は、やっぱり学歴がないと不利なんだよなと自分を納得させた。 学歴がないから不利――そう思っていた。 しかし、私が引っかかったのは学歴ではなく、仕事感の差だったことに気づいた。 同じ売り場の10人いる先輩たち。 高卒は私だけで、女性社員3人を含めて、地方大学とはいえ大卒ばかりだった。 同じ売り場の大卒たちを見て、私が気にしたのは、顧客に対する責任を彼らはどう考えているのか。 私よりも真剣に知識や技術の習得に努めているとは感じられない、それが私の受け止め方だった。 果ては、眼鏡の仕上げに対して「うちは芸術品を作っているんじゃないんだ」とまで言われたことがある。 これが気になってしかたなかった。 私は入社して3年目だ。試験に合格したとはいえ、入社5年目や7年目の社員に比べれば、まだ知識も経験も浅い。実践と試験は当然違う。ヤマの張りようもない。 だから顧客に対しては、私は誠意しか買ってもらえるものがない。...]]></description><link>https://www.office-ef.jp/post/%E3%83%AF%E3%82%BF%E3%82%AF%E3%82%B7%E3%81%AE%E5%BD%A2%E6%88%90%E5%8F%B2-2-1</link><guid isPermaLink="false">6a47d1e8fa58f0a255ceee43</guid><pubDate>Sat, 04 Jul 2026 02:21:48 GMT</pubDate><dc:creator>office.ef.admin</dc:creator></item><item><title><![CDATA[2-2｜手に武器を持つ]]></title><description><![CDATA[手に武器を持つ 11番目の現実 新任地でも、私よりも先に眼鏡学校入学の権利を持つ先輩が2人いた。 売場での序列も3番目だから仕方がないと思ったが、私の入学権利は11番目ということをあの人事部の仲良しから聞いた。 他の地域の売り場もひっくるめて考えると、試験では2番目に合格したのに、会社全体の入学候補者順位では11番まで後退していた。 いつの間に、なんでこんなに順位が下がったんだ？が率直なところ。 どこから来た情報かは伏せて、上司にどうしてですか？と訊いた。 この人ははっきりとモノを言う人で、「学卒優先はどこでもあり得ることで、それをひっくり返す何かに欠けているんじゃないのか？考えろ。で、なんでお前、そんなことを知ってるんだ？」 ヤブヘビだった。 確かに当時のこの会社は急拡大している時期で、高卒ではなく、管理職候補として大卒を軸に求人募集をしていた。 こりゃ、時間がかかるわ。せっかく早くに入学資格を得たのにな、と思った。 でも私は、私を拾い上げてくれたこの会社とこの仕事が好きだった。 この中で、必ず私を雇ってよかったと思ってもらえるようになりたい、そう思っていた。 英語という武器...]]></description><link>https://www.office-ef.jp/post/%E3%83%AF%E3%82%BF%E3%82%AF%E3%82%B7%E3%81%AE%E5%BD%A2%E6%88%90%E5%8F%B2-2-2</link><guid isPermaLink="false">6a47d1eafd494c5f10d5ac42</guid><pubDate>Sat, 04 Jul 2026 02:03:58 GMT</pubDate><dc:creator>office.ef.admin</dc:creator></item><item><title><![CDATA[3｜越権という自己紹介]]></title><description><![CDATA[越権という自己紹介 上司としての能力 帰国後、会社に宛てた総括レポートを作成した。 ・ホノルル各店の状況分析（売上、利益率等の推移） ・スタッフの好みで、販売される商品が決定される恣意的な売場状況 ・カッティング・マシンやグラインディング・マシンなどの老朽化 ・使用する器具のリファインの必要性 ・これらがクオリティ維持、顧客維持につながる可能性を指摘 などなど。 現場の真実を、組織の言葉で記述した。 教育と設備投資が不十分ではないかということが、私の目に映ったホノルルの現状だった。 読む人間がどう思おうと知ったこっちゃない的なことを10ページ以上書いた。 あとで聞けば、ホノルル支社長は取締役会から状況説明を求められたらしい。 この人は、私にとって論理的で親しみやすく、かつ、香港勤務という修羅場を潜り抜けて支社をオープンさせた一目置かれるべき人だ。  なのに苦労話は語らない。私が尋ねたときだけ答える。 とてもスマートで、自然と敬意を持てる人だ。  私のレポートが支社長に迷惑をかけることを先に思い付かなかった点を反省したが、もう一つ大切なこと、この人は私の越権を受け止めた上で、私には...]]></description><link>https://www.office-ef.jp/post/%E3%83%AF%E3%82%BF%E3%82%AF%E3%82%B7%E3%81%AE%E5%BD%A2%E6%88%90%E5%8F%B2-3</link><guid isPermaLink="false">6a47da294a3614e014edf67c</guid><pubDate>Fri, 03 Jul 2026 23:23:18 GMT</pubDate><dc:creator>office.ef.admin</dc:creator></item><item><title><![CDATA[4-1｜眼鏡学校と香港――両方取る]]></title><description><![CDATA[初めての試練――覚悟 眼鏡学校と香港――両方取る 人生は、本当にうまくいかないことが多い。 香港勤務に手を挙げたのはいいが、眼鏡学校入学も同時期に決まった。 人事から連絡があって、どちらを優先したいか訊かれた。それに合わせて片方をリスケジュールする。 あの上司に相談したら、「お前のことだ。お前が決めろ」でおしまい。 私は妙案を思いついた。 眼鏡学校に問い合わせ、通信教育が可能かどうか確認した。 数日して返答があり、「社会人用のそれはないが、継続する意思があるなら地方在住学生用のコースで考慮する。」 おそらく学校側も地方の眼鏡店に対する通信教育の可能性を探っていたのではないかという非常に微妙なタイミングで、この話はまとまった。 会社はあの上司が説得してくれた。 方向を決めたら、できることをきちんとやってくれる。 私もこういう行動が取れる人間になりたいと本気で思った。カッコいい。 結婚――退路を断つ 赴任前にもう一つ、大仕事が残っていた。 結婚。 本当に悩んだ。 彼女が海外生活に馴染むかどうか、大学を卒業して、これまで築き上げてきたものを置いてこなければいけない状況に対して、申し訳な...]]></description><link>https://www.office-ef.jp/post/%E3%83%AF%E3%82%BF%E3%82%AF%E3%82%B7%E3%81%AE%E5%BD%A2%E6%88%90%E5%8F%B2-4-1</link><guid isPermaLink="false">6a47da2a4a3614e014edf680</guid><pubDate>Fri, 03 Jul 2026 19:05:52 GMT</pubDate><dc:creator>office.ef.admin</dc:creator></item><item><title><![CDATA[4-2｜爆発――そして無視]]></title><description><![CDATA[私さえ倒れなければ 爆発――そして無視 毎日つまらないやり取りが続いてあっという間にその年が終わりかけた頃、ちょっとした事件が起きた。 当時の私は1日12〜14時間勤務、休みは百貨店の定休日が週に１回という勤務条件だった。 建前は全く違う。月間休6日、8時間勤務。 これがクリスマスが近づくにつれて、定休日がない代わりに代休が週一、勤務時間はなんと、朝9時から夜中の12時までという気が遠くなるようなものが3週間続く。 夜型社会の一面だ。 事件はそれではない。 流石に毎日15時間の連勤はきついので、ある夜だけ香港支社の責任者が私に変わって売り場を見てくれることになった。 午後7時に先に帰宅していいよと連絡があったので、私は帰った。 住んでいるプライベートアパートメントまで徒歩1分の近さ。ここは恵まれている。 その後9時頃に責任者に相談があって、散歩がてら売り場に出向いた。 ところが、何か急用があったのか、責任者は不在のまま、現地スタッフ3名だけで運営していた。 問題はここ。 現地スタッフばかり3名。 あろうことか、彼らは売り場でボールを投げて遊んでいた。...]]></description><link>https://www.office-ef.jp/post/%E3%83%AF%E3%82%BF%E3%82%AF%E3%82%B7%E3%81%AE%E5%BD%A2%E6%88%90%E5%8F%B2-4-2</link><guid isPermaLink="false">6a47da2af7b480551f0cd0f2</guid><pubDate>Fri, 03 Jul 2026 18:40:49 GMT</pubDate><dc:creator>office.ef.admin</dc:creator></item><item><title><![CDATA[5-1｜お話があります]]></title><description><![CDATA[お話があります ジャネット・リー 私は今でもこのスタッフのことを忘れない。 名前は特別な響きと韻を含む。 ジェニーとかジェーンでもない。 きちんと敬意を込めて「ジャネット」。 それほどこの人が私に与えたインパクトが大きかった。 ただし、これは特別な話でもなんでもない。 事実としてそれが起こり、私のトリガーとなった。 なので書いておかなければいけない、それだけだ。 彼女は当時22歳、日本語学校に通っていて、将来は地元で日本語を教えたいと話していた。 日本語はかなり流暢なレベル、私よりも上品な言葉で会話する。 しかも、英語も同程度で読み書きするトリリンガル。 このくらいできれば、他の大手日系企業など条件が良い勤務先を選べただろうに、なぜか彼女はこの会社を選んだ。 書き忘れたが、採用広告は私、採用面接は支社の責任者と分担が決まっている。 ただ、ジャネットの時だけは、面接日が責任者の帰国休暇と重なったので私が担当した。 面接はたいてい英語で行うが、この娘だけは日本語で通した。 しかも、最後までついて来た。 信頼が積み重なるまで 入社した当初、彼女には技術的な部分ではなく、私の雑用係、私の...]]></description><link>https://www.office-ef.jp/post/%E3%83%AF%E3%82%BF%E3%82%AF%E3%82%B7%E3%81%AE%E5%BD%A2%E6%88%90%E5%8F%B2-5-1</link><guid isPermaLink="false">6a47dba1fa58f0a255cf025a</guid><pubDate>Fri, 03 Jul 2026 18:31:04 GMT</pubDate><dc:creator>office.ef.admin</dc:creator></item><item><title><![CDATA[5-2｜探し物を見つけた]]></title><description><![CDATA[探し物を見つけた ベンジャミンのこと 暫くして、一人のお調子者が現地の顧客の眼鏡を調整中に壊してしまった。 このお調子者はベンジャミンという男の子だ。勉強はできたらしいが香港大学の入試で躓いた。 英会話には問題はない。 彼は私から大叱責を喰らうと身構えたが、ジャネットの視線が私に一拍おかせた。 私は理を説いた。 どうしてこういうことが起こった？ なぜその方法が正しいと思った？ 結果としてお前は顧客の眼鏡を壊したよな？ そこにはちゃんとした理由があるよ。 いつもと違う私に戸惑ったのかもしれないが、彼は自分の考えを説明することで私の叱責を受け入れた。 普段はそうではない。 沈黙が答えだった。 「ベン、君はこのお客様に迷惑をかけたこと、そこから逃げちゃダメだぞ？それが一番大事なことなんだ」 顧客の眼鏡は、翌日彼が申し出て、責任を持って届けた。 何かが変わった 一人にこうすると、次もそうせざるを得ない。 現地スタッフは何か違うと感じ取ったらしい。 そういった時にジャネットが私の知らないところで介入したようだ。 私はもう怒らない。 ちゃんと理由を聞いてくれたでしょう？そして、こうすればいい...]]></description><link>https://www.office-ef.jp/post/%E3%83%AF%E3%82%BF%E3%82%AF%E3%82%B7%E3%81%AE%E5%BD%A2%E6%88%90%E5%8F%B2-5-2</link><guid isPermaLink="false">6a47dba2fd494c5f10d5c046</guid><pubDate>Fri, 03 Jul 2026 17:57:09 GMT</pubDate><dc:creator>office.ef.admin</dc:creator></item><item><title><![CDATA[6-1｜人事と規制と時間]]></title><description><![CDATA[シンガポール赴任 シンガポール…。 私はこの街で、人の人生を押し潰す側に回ることになる。 時間と制度の中で、人が押し出される話だ。 私が赴任した1992年9月当時は、まだリー・クァン・ユーさんが上級相(Senior Minister)だった。 私のアパートの向かい側 Oxley Road に彼の私邸があり、イスタナ（官邸：マレー語で宮殿の意）とは別のプライベート空間だ。 数箇所の哨戒ポストがあって、ライフルを構えた衛兵が24時間、警備をしていた。 窓から外を眺めると、時々兵隊さんと目が合う。胡散臭そうな目つきで私を睨む。 ここの住人なんだがな。何回も見てりゃわかるだろ。 ただ、彼らの腰の短剣というか、刀が特徴的だった。 会社のスタッフの説明で、それがグルカ兵ということがわかった以降は、なるべく視線を合わせないようにした。 スタッフの環境と、見えてきた問題 シンガポールにはきっかり4年間滞在した。 私は昇進し、最年少の支社長とおだてられたが、そんなことはどうでも良かった。 給与さえしっかり上がってくれればそれで十分。 家内は紹介を通じて、地元の音楽教室で働くようになった。...]]></description><link>https://www.office-ef.jp/post/%E3%83%AF%E3%82%BF%E3%82%AF%E3%82%B7%E3%81%AE%E5%BD%A2%E6%88%90%E5%8F%B2-6-1</link><guid isPermaLink="false">6a47dc194a3614e014edfa44</guid><pubDate>Fri, 03 Jul 2026 17:45:32 GMT</pubDate><dc:creator>office.ef.admin</dc:creator></item><item><title><![CDATA[6-2｜握手がない別れ]]></title><description><![CDATA[ボブへの告知 93年10月。 さて、ここから。 会社が生き延びなければスタッフの生活は保証できない。 私は要旨をA4用紙2枚にまとめ、1部を彼、もう1部を私用に準備した。 これに沿って説明する。さらに、レコーダーを用意した。 私の事務室を出入り禁止にし、違う自分を演じ、ボブに事情を説明、提案した。 彼は猛反発した。 本当に、体を震わせながら話す人間を見たのは、私の人生ではこれが最初で最後だ。 彼の受け止め方は、降格に対する屈辱、今まで下で働いていた人間の指揮下に入ることへの拒絶、給与が下がることで家族に対する面目の失墜。 要約するとこういうことだった。 最終的に、彼は理不尽な扱いを受けたということで、レイバーデパートメント（当時）に訴えると主張した。 私は宥めた。 これは今後を見据えた「会社のサバイバル・プラン」で、君の勤務態度や能力の案件ではない。 むしろ、君が今後の定年後を見据えた働き方ができるよう、便宜を図るつもりでいる。 君が望めばダブルワークも許可する。 定時退社、休日確保にも便宜を図るし、業務量も減る。 それに、言いにくいが、君はOOB対策、CLP対策に具体的な力とな...]]></description><link>https://www.office-ef.jp/post/%E3%83%AF%E3%82%BF%E3%82%AF%E3%82%B7%E3%81%AE%E5%BD%A2%E6%88%90%E5%8F%B2-6-2</link><guid isPermaLink="false">6a47dc190e6d465694957d03</guid><pubDate>Fri, 03 Jul 2026 17:36:21 GMT</pubDate><dc:creator>office.ef.admin</dc:creator></item><item><title><![CDATA[7-1｜帰国後の違和感]]></title><description><![CDATA[帰国後の違和感 帰国――変わってしまった風景 シンガポールから帰国した私は、リハビリのため、あの1983年10月オープンの店に責任者として戻された。 あの上司の4代後の後釜となったわけである。 しばらく見ないうちに、田舎の百貨店となっていた。 オープンした頃の面影が、華やかさが全くない。 私と家内がデートした場所も、寂れていて物悲しい。 11年という時間は、そういうものか？ ただ、当時の懐かしい顔がたくさんあった。退職していた知り合いも、わざわざ会いに来てくれた。 時間が経過しても変わらないものがある。これは素直に嬉しい。 二重構造の罠 私は、海外で11年間を苦しみながら生きてきた。 業務で生じるある程度の問題は、解決していく能力も身についた。 が、そんなこと、全く役に立たないことが帰国後の3年間で起こった。 私の上司は、常務となった。 まず、役員が現場を直轄するなんてことは絶対にあり得ない。 エリア担当のメンツもなくなる。 いったい、何が目的？ 私と常務の間に存在するべき人、この人もボードメンバーだったが、どういう訳か売上に関する責任はこの人、私を含めた人事権、売り場の他の決定...]]></description><link>https://www.office-ef.jp/post/%E3%83%AF%E3%82%BF%E3%82%AF%E3%82%B7%E3%81%AE%E5%BD%A2%E6%88%90%E5%8F%B2-7-1</link><guid isPermaLink="false">6a47ee6af7b480551f0d00c5</guid><pubDate>Fri, 03 Jul 2026 17:23:46 GMT</pubDate><dc:creator>office.ef.admin</dc:creator></item><item><title><![CDATA[7-2｜退職]]></title><description><![CDATA[3名同時退職――呆然 忘れない。 98年2月、3名の男子社員から、揃って退職届が提出された。 「？？？」 本当に理由がわからなかった。 当然、個別に会話を持った。 理由に共通していたのは、私の強権的な運営方針。 自分の意見を押し付ける。 人の考えを聞かない。 善悪の判断が曖昧。 私は慌てた。 まさにそういうことが起こらないよう、言われないよう、神経を砕いてきたつもりだったからだ。 香港で、私は人は正しさだけでは動かないことを学んだつもりだった。 シンガポールでは、違う立場の人間の事情も考えたつもりだった。 それでも、私はまた「人の話を聞かない人間」になってしまった。 一方で、彼らが独立準備をしていた事実を後で知ると、私は自分が責められた理由を、最後まで整理しきれなかった。 健康食品店を3人で共同経営するとわかった。 狭い街なので、情報はどこからともなく入ってくる。 退職後2ヶ月目の4月オープンということなので、退職前から事前準備はしていたのだろう。 ただ、結果として総スカンとなったことだけが明白な事実。 私のこれまでの人生で、呆然としたことはあまり記憶にない。...]]></description><link>https://www.office-ef.jp/post/%E3%83%AF%E3%82%BF%E3%82%AF%E3%82%B7%E3%81%AE%E5%BD%A2%E6%88%90%E5%8F%B2-7-2</link><guid isPermaLink="false">6a47f0494a3614e014ee2b64</guid><pubDate>Fri, 03 Jul 2026 15:58:18 GMT</pubDate><dc:creator>office.ef.admin</dc:creator></item><item><title><![CDATA[8｜手放す責任]]></title><description><![CDATA[手放す責任 退職、そして起業へ 2000年3月、私はどうしても自分の意志に従いたくて、この会社を退職した。 長男は3歳前だったが、家内は自分がピアノで頑張ると言ってくれた。 その頃の私は前に進むことだけを考えた。 あの上司は、「確認だが、今ならまだ退職届は握り潰せる。このままだと、じきに後戻りはできなくなるよ？覚悟したんだね？」と電話してきた。 先の上司はすでに定年退職していたが、連絡をとって事の次第を報告、応援するからと言ってくれた。 東日本担当のヤツからも連絡があって、「名古屋はどうするんだ！」と電話の向こうで喚いていた。 でも、小倉トースト、大好きだろう？お前。 意外だったのは、元ホノルル支社長（財務部の部門長）。 事業部が違うせいで少々疎遠になっていたが、残念だ、とわざわざ電話で慰労してくれた。 起業 6月、縁があった社労士の紹介で電力関係のコンサル業務で起業した。 少ない退職金をほぼ全額、投入した。 そちらに詳しい従業員も高齢者枠で2名雇用して補助金申請、すべての書式を自力で整え、会社を設立した。 守秘義務があるので多くは語れないが、素人なりにひたすら営業に走り回り、電...]]></description><link>https://www.office-ef.jp/post/%E3%83%AF%E3%82%BF%E3%82%AF%E3%82%B7%E3%81%AE%E5%BD%A2%E6%88%90%E5%8F%B2-8</link><guid isPermaLink="false">6a47f33dfa58f0a255cf3b1c</guid><pubDate>Fri, 03 Jul 2026 15:58:17 GMT</pubDate><dc:creator>office.ef.admin</dc:creator></item><item><title><![CDATA[9　番外編｜データで飯を食う]]></title><description><![CDATA[データで飯を食う ここから先、私は転職のたびにDBM（データベース・マーケティング）を武器として使うことになる。その原点だけは先に書いておきたかったので、番外編とした。 PCがほしい !!! パソコンが必要だった。 どうしても。 私の思いつきが正しいことを、証明したかった。 時代が遡るが、1991年、香港の私の売場にPCがやってきた。 顧客リストをまとめ、支社で一括してDMを出すらしい。 いいことだ。 ようやく、うちの支社も世間に追いついた。 だが、私にとってはそこではない。 顧客リストができるなら、顧客のデータ保管も商品リストもできるはずだ。 顧客のリスト、データと商品データを紐付けできれば、知りたい項目をピンポイントで呼び出せる。 それを、どうしてもやってみたかった。 98と一太郎と「そこじゃない感」 売り場のPCは、PC-9801VM＋MS-DOS Ver.3.1。 ふんふん。 おお、ひらがな付きのキーボードか。 一太郎？ 「A>jxw」 ……ほうほう。こうなるのか。Aドライブね。 インラインコマンド？ 乗り越えるしかないな。...]]></description><link>https://www.office-ef.jp/post/%E3%83%AF%E3%82%BF%E3%82%AF%E3%82%B7%E3%81%AE%E5%BD%A2%E6%88%90%E5%8F%B2-9-%E7%95%AA%E5%A4%96%E7%B7%A8</link><guid isPermaLink="false">6a47f5630e6d46569495b8c0</guid><pubDate>Fri, 03 Jul 2026 15:56:18 GMT</pubDate><dc:creator>office.ef.admin</dc:creator></item><item><title><![CDATA[10-1｜インテリとヤクザ]]></title><description><![CDATA[インテリとヤクザ 新聞社、販売局という現場 新聞社。 誤解が生じないよう、先に断っておきたい。 大手の新聞社とはいっても、私の所属は販売局であり、その下部組織の販売協同組合というところに配属された。 さらっと入社時の条件を書く。 研修期間2年間、期間満了後の選択肢として、販売店出向のままマネージャーとして現地採用、個人店として独立開業（開店・運営資金の提供が受けられる）、退職から選べる。どれを選んでもOK。 販売戦略職担当として単なる営業職とは区別されて活動し、給与水準は一般企業と比較するとかなり良い。 背景をもう少し。 舛田利雄監督の『社葬』という映画がある。 メディア業界を揶揄する一般的な言葉として「新聞はインテリが作ってヤクザが売る」というものがあって、この映画にセリフとして登場する。 伊丹十三監督の「ミンボーの女」にも同様の展開がある。 インテリの言葉通り、入社そのもののハードルが高い。旧帝大、早慶、一ツ橋等、名だたる学校の卒業生が多くいる。 編集局となれば、学歴以外の強い武器が必要とされ、入局はかなり難しい。 さらに社内のヒエラルキーがあって、同じ大学卒で部長職であって...]]></description><link>https://www.office-ef.jp/post/%E3%83%AF%E3%82%BF%E3%82%AF%E3%82%B7%E3%81%AE%E5%BD%A2%E6%88%90%E5%8F%B2-10-1</link><guid isPermaLink="false">6a47f8224a3614e014ee3d16</guid><pubDate>Fri, 03 Jul 2026 15:56:17 GMT</pubDate><dc:creator>office.ef.admin</dc:creator></item><item><title><![CDATA[10-2｜打ったの、カーブ？]]></title><description><![CDATA[打ったの、カーブ？ チームで回る、その目的 私は、順番にスタッフ1人ずつとチームを組んで回った。 目的は一つ。 「私が何をやろうとしているのか」を、実際に見てもらうことだった。 商品券、洗剤は、削らない。 なぜかというと、この上に会話が成立するという構造が、顧客にもスタッフにも出来上がっているからだ。 ここはもう不可触。 その代わり、拡販団員への依存を解消する。 これ。 本社からの補助金、販売店の折込広告収入、これらが拡販団員への高額な成功報酬に消えている。 私はこの構造を変えたかった。 本来不要である成約手数料、感じの悪い人間を使って商売しているイメージを拭い去りたい。 潮見表というツール この街は漁師町でもあり、農家や一般家庭にも海が近いことから釣り好きが必ずいる。 そこで思いついたのが「潮見表」だった。 この街専用のものを作る。配る。 うちの新聞の読者だけに。 月ごとの潮汐をまとめ、購読期間に合わせて配る。 地元で一番情報に詳しい釣具店に協力を頼んだ。 彼は、漁協と懇意だ。 近隣の漁港や釣り場に特化し、表と一緒に店のチラシを折り込む。 情報提供の見返りだ。...]]></description><link>https://www.office-ef.jp/post/%E3%83%AF%E3%82%BF%E3%82%AF%E3%82%B7%E3%81%AE%E5%BD%A2%E6%88%90%E5%8F%B2-10-2</link><guid isPermaLink="false">6a480013fd494c5f10d6143b</guid><pubDate>Fri, 03 Jul 2026 15:50:03 GMT</pubDate><dc:creator>office.ef.admin</dc:creator></item><item><title><![CDATA[11｜退職の決断――外と内の理由]]></title><description><![CDATA[退職の決断――外と内の理由 退職することにした 研修期間が残り3ヶ月となった12月、私は決めた。 理由は2つ。 まず、新聞に明るい未来はなさそうだったこと。 戸別配達網（販売店のこと）縮小の影響を恐れ、デジタル単体での購読を積極的に推進できない。 デジタルがあることで紙媒体の販売数が減少する。 このジレンマはすぐには解消できないし、組織の末端に位置する人間には、扱える大きさの問題ではなかった。 ただ、ここまで一緒に積み上げてきたスタッフとの別れはつらかった。 彼らは私のスタッフではない。 仲間であり、友人だった。 一緒に考え、行動し、結果を出した。 彼らだから、この地域だから、この規模だからできたことだと思っている。 正直な気持ちと、私がこの後にやりたいことを彼らに説明し、理解を得られるよう努めた。 K氏は私の慰留をしてくれた。 今回導入した手法が過去になかった例として、販売局の新しい手法として一つのモデルとなったことを教えてくれた。 私はどこの販売店でもできることではない、あの販売店とあのスタッフだからできた、と思うところを伝えた。...]]></description><link>https://www.office-ef.jp/post/%E3%83%AF%E3%82%BF%E3%82%AF%E3%82%B7%E3%81%AE%E5%BD%A2%E6%88%90%E5%8F%B2-11</link><guid isPermaLink="false">6a4802a0f7b480551f0d2d7a</guid><pubDate>Fri, 03 Jul 2026 15:50:02 GMT</pubDate><dc:creator>office.ef.admin</dc:creator></item><item><title><![CDATA[12｜何も起こさないことが仕事]]></title><description><![CDATA[何も起こさないことが仕事 ホテルチェーンへ――データの予感 次の職場は、人材紹介会社を通して決めた。 希望条件として伝えたのは、マーケティングに関われること、データを扱えること。その二点だった。 いくつかのサービス業の中から、上場の大手ホテルチェーンから一度会ってみませんか、という話が来た。 正直、少し意外だった。 ホテル？ 宿泊客名簿。 予約・宿泊履歴。 利用頻度。 頭の中で、勝手にRFMが浮かんだ。 過去の延長線上で、何かはできそうだと思った。 三次面接は役員面接だった。 私は、これまでと同じように、やりたいことを正直に話した。 すると、その役員はこう聞いてきた。 「今あるデータを使う、ではなくて。これからホテルに必要なデータを作ることはできますか？」 要するに、売上につながる"仕組み"を作れるか、という問いだと思った。 できる、と答えた。そればかりやってきたから。 最初はフロントから始めてもらうが、それでいいか、とも聞かれた。 接客経験はある。問題ないと答えた。 翌日電話があって、入社が決まった。 想定と現実 私の頭の中には、データ以前に、いろいろなものが浮かんでいた。...]]></description><link>https://www.office-ef.jp/post/%E3%83%AF%E3%82%BF%E3%82%AF%E3%82%B7%E3%81%AE%E5%BD%A2%E6%88%90%E5%8F%B2-12</link><guid isPermaLink="false">6a4843caf7b480551f0dc23e</guid><pubDate>Fri, 03 Jul 2026 15:50:01 GMT</pubDate><dc:creator>office.ef.admin</dc:creator></item><item><title><![CDATA[13｜Battle Buddy]]></title><description><![CDATA[Battle Buddy 好きな仕事、辞めなければいけない理由 私は、この仕事が好きだった。 自分に合っている。 取り組み方を考える必要もなく、すっと入っていける。 私を取り巻く部署には気に入らないやつも姑息なやつもいたが、私は自信を持って自分の仕事に臨めた。 この分野は誰にでも務まるものではない。経験とノウハウが必要だ。 私は、それを文字にしてサーバーのフォルダに格納した。属人化を避けるためだ。 ところが、いざまとめてみるとスプレッドシート類は別にして、経験とノウハウの塊だと思っていた仕事が、書き出してみるとたったの7ページだった。 「え？オレの仕事、こんなもん？」 だが、本当に必要だったのは、“書かれていない判断”の方だったと思う。 経験とノウハウはこんなものだったが、この役割が縁となって、その後も長くお付き合いいただいた方もいる。 それは精神面で大きいものがあった。受け入れてくれる人がいる。 私は、この場所に辿り着くまで長い時間がかかった。 たくさんの出来事に揉まれて、遠回りをしたかもしれない。 だが、ようやく、このポジションなら自分は何かの役に立つことを感じられるようにな...]]></description><link>https://www.office-ef.jp/post/%E3%83%AF%E3%82%BF%E3%82%AF%E3%82%B7%E3%81%AE%E5%BD%A2%E6%88%90%E5%8F%B2-13</link><guid isPermaLink="false">6a48686afa58f0a255d0381f</guid><pubDate>Fri, 03 Jul 2026 15:14:50 GMT</pubDate><dc:creator>office.ef.admin</dc:creator></item><item><title><![CDATA[14｜「寮」の洗礼]]></title><description><![CDATA[「寮」の洗礼 寮の話 新しい職場には、2016年5月に着任した。 私の雇用主は、業界でも大手に属する。 非常に大きな企業の一部門で、先進的な姿勢を持っていることで評判の会社だった。 ここからは、寮の話だ。 最初の冬　――　見えていたのに、届かなかった 勤務した最初の寮は、学生寮ではなく、2016年当時の呼称で「技能実習生」と呼ばれる人たちが暮らす場所だった。社会人寮だ。 ここに私が配属された理由は、海外勤務経験者で東南アジアの生活に馴染みがあること、海外・国内を通じて若年層との接点の多さが際立っていること、言葉の問題を努力と工夫で凌げることを観てくれたのだと思っている。 私が一緒に暮らす人たちは、ベトナムから日本にやってきた。 19歳〜25歳、男性10名、女性30名のグループで、都会育ちの人は皆無だった。 私はベトナム語が話せない。 彼らも日本語学習を奨励され、取り組んではいたが、訪日したばかりだ。 コミュニケーションの困難さを乗り越えることが私にとって重要なファクターだった。 私の古いPCにベトナム語のランゲージキットを導入し、Google翻訳（当時はこれしかなかった）が使える...]]></description><link>https://www.office-ef.jp/post/%E3%83%AF%E3%82%BF%E3%82%AF%E3%82%B7%E3%81%AE%E5%BD%A2%E6%88%90%E5%8F%B2-14</link><guid isPermaLink="false">6a486a3bf7b480551f0e09c9</guid><pubDate>Fri, 03 Jul 2026 15:14:49 GMT</pubDate><dc:creator>office.ef.admin</dc:creator></item></channel></rss>